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マインドフルネス瞑想は誰がやっても科学的でしょうか [2018年11月28日(Wed)]

マインドフルネス瞑想は誰がやっても科学的でしょうか

 観照(瞑想)は場合によっては堕落だという西田博士の言葉があります。 「マインドフルネス」は、仏教を応用したものだといいますが、西田幾多郎博士は、仏教に批判的でした。

 「どこまでも自己自身に関係する関係としての個物的立場を離れて、ただ第三者によって措定せられた関係という方向に行くことが観照的となることである。矛盾的自己同一的立場を離れて、かかる方向に行くことは自己の堕落である。」(実践哲学序論)

 西田博士は、矛盾すると思われる自己と世界は一つであるから、自分のいる場所を足場にして世界の創造のために働く必要があり、自分の生きた家庭とか職場を捨てて、第3者の措定した関係の方向に行く観照、瞑想であると堕落だというのでしょう。あくまでも、世界創造に参画すべきであって、家庭職場を捨てていく方向の観照(瞑想、坐禅、マインドフルネスもそうでしょう)は、世界創造をしないというのでしょう。

 世界には、独断、我執、偏見が充満しているといいます。個人のエゴイズムによって、世界に貢献しようとしている個人や組織を妨害する者もあります。こういう独断、我執、偏見は観察して抑制すべきでしょう。「マインドフルネス」はそのすぐれた古人の警告を取り入れていかないのでしょうか。科学的という評価をして、ひとを西田博士のいう「堕落」の方向(多分副作用の一つでしょうが)に向かっていないことの条件や、浅い瞑想理解で多数派となり健全な組織を妨害しないことの倫理的配慮はどうなっているのでしょうか。四諦八正道の瞑想、MBSR、MBCTは誰がやっても「科学的」なのでしょうか。欧米では、批判する論文もみられます。

 西田博士は、仏教、禅、瞑想を考え抜きました。「マインドフルネス」が西田博士から批判されるような方向に行っていないのでしょうか、西田哲学は、世界創造に貢献する実践論についてもいっています。「マインドフルネス」は実践ですから、同様のテーマです。現代哲学者の意見も注目していたいものです。「マインドフルネス」が科学というのであれば、いろいろと決めないといけないことがありそうです。反社会的な団体であっても「マインドフルネス」があるでしょうし。MBSRとか、四諦八正道の実践ならば、すべて科学なのでしょうかね?

 体験会でない講演の時には、この問題についてご意見をお聞きする時間も作りたいと思います。
 アメリカでは、うつ病などを治すマインドフルネスも10年も前からあるのに、日本では一向に普及しません。「無評価で観察」する定義を超えたものだからでしょうかね。哲学レベルは、科学ではないのでしょうかね? こういうことを真剣に議論する時です。アメリカでは、うつ病が治るマインドフルネスもあるのに、日本では、集中力とか、再発予防とか、ストレス低減とかに留まっていますね。大切なひとが、どんどん自殺なさいます。産後うつ病もあります。若い人の自殺も減少しません。うつ病においこまれて、うつ病が治らないことも関係していると思います。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】

Posted by MF総研/大田 at 19:46 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL