• もっと見る
«すべての人間のこころと現実の歴史の底にはいつも宗教的なものが動いている | Main | 浅い作用をする自己、深い作用をする自己 »
すべての人間の自己は絶対無の場所に於いてある [2018年11月25日(Sun)]
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3976?1541731623
★2019年1月26日、宮城県大崎市のお寺(真言宗)で、マインドフルネスSIMTの体験、説明会。
=初心者向け体験のほか、専門家向けの講座のガイダンスも。2019年に、講座を宮城県で希望がありますか。
2019年は、関東、宮城、福岡のうち希望の多い2か所で考えています。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3992
★2019年度の講座
 カウンセラーになりたいひとも経営者も管理者も

すべての人間の自己は絶対無の場所に於いてある

 アインシュタインの言葉を見た記事に関連して西田哲学の言葉をご紹介しました。 『人間的存在』とはどういものであるか、説明したものです。

 「超越的なるものという語は、色々の誤解を惹起するかも知れないがそれはるるいったごとく絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。行為的自己、制作的自己に対してはかえって直接であり、我々はこれに於いてあるということができる。・・・・
宗教は過去の迷信とか愚民の阿片とかいうものでなく、歴史の底にはいつも宗教的なるものが動いているのである。」(『人間的存在』旧全集9巻66頁)
 「宗教的体験というものは、自己というものが死にきって、絶対が出て来ることである。そこに言語思慮を入る余地がない。故に宗教には生命の転換、いわゆる回心というものがなければならない。」(『人間的存在』旧全集9巻67頁)

 文章をていねいに読んで、再確認します。意味をとりにくいところを・・・にして省略すると、次のとおりです。

 「超越的なるものという語は、・・・絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。行為的自己、制作的自己に対してはかえって直接であり、我々はこれに於いてあるということができる。

 「超越的なるものという語は、・・・絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。」は、こうなります。
 「超越ということは、それよりも内奥に働いていて、浅いものでは意識できないということです。パソコンでいえば、ワードやパワーポイントなどのアプリケーションソフト(AS)で作業しますが、その底に基幹システム(OS)が動いています。しかし、ASの操作からは絶対にOSのことを操作できません。OSは深いところで動いていて、浅いASを動かしています。
 そのように、意識する自己、知る自己は同じ場所で働いているが(絶対矛盾的自己同一)、超越的なるもの(絶対無、大乗仏教は仏性といった、初期仏教にはない)が、意識的自己、知的自己の内奥に働いているが、浅い自己にはわからない。
 「我々はこれに於いてある」というのは、こういうふうに読めます。

 「歴史の底にはいつも宗教的なるものが動いている」に行きます。
「歴史」は、世界の動きですが、それは(やはり絶対矛盾的自己同一的に)世界が自己と一つですが、そうであるから、その世界の底に絶対無(宗教的なるもの)が動いていると言っています。このブログを見ておられる「あなた」と「あなたが見る世界」も「このブログの底にも、OSばかりでなく、さらにその内奥底に、絶対無が動いている。
 絶対無、宗教的なるもの(科学で対象的には絶対に見えないので宗教的なるものといいます)は、すべての人に事実です。嫌っても、無視しても、動いています。
 「マインドフルネス」は、宗教を排除したといっても、そういう人にも動いているのです。真に自己を知るということはそこまでいくのです。
 しかし、うつ病や不安症、人間関係の改善などのためには、このような「宗教レベル」のマインドフルネスは必要ありません。本で発表したのは、その程度の宗教的でない自己観察の方法です。意志的自己のSIMTです。「死」の問題、真の自己の問題、宗教の問題でなければ、これで 充分です。

 自己の階層は、この記事で触れています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572

 自己の階層によって、「マインドフルネス」の仕方、範囲が違います。意志的自己、叡智的自己は現在進行形で、見て考えて「働く自己」です。働く自己は無評価ではすみません。自己の言動、他者の言動に、不正、パワハラ、セクハラなどがないかも、現在進行形で「評価」しなければなりません。家族、同僚、上司、部下、顧客、先生生徒、医師患者の間で、頻繁に感情が起こります。それはどうしてであるか「評価」しなければなりません。この領域の「マインドフルネス」もあります。 「マインドフルネス」は、まだ歴史が浅いために、日本の深い実践(後期の西田哲学の実践論)までは参照されていません。やがて、欧米のマインドフルネス専門家も参照するでしょう。 鈴木大拙の著書も西田幾多郎の著書も外国に翻訳されていますから。まもなく、深いマインドフルネスも欧米で発表されるでしょう。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】

Posted by MF総研/大田 at 19:24 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL