マインドフルネス精神療法研究会の定例会
[2018年11月12日(Mon)]
マインドフルネス精神療法研究会の定例会昨日は、マインドフルネス精神療法研究会でした。★研究会のテキスト 『後期西田哲学の実践論』 『叡智的自己への課題』 参加者には、上記を贈呈。 さらに研究会に入会者には、機関誌創刊号、 および、『深い日本的マインドフルネス』を贈呈。 今回は、次の内容でした。 ★我々は、日本的マインドフルネス精神療法である、自己洞察瞑想療法(SIMT)をすすめている。仏教やマインドフルネスは多数の流派にわかれている。 日本の哲学実践を好きでないひともいる。SIMTもすべて支援できるわけではない。 それぞれを選択する人の自由であるし、適応できる問題や関心あることが違うから「すみ分けて」、他を否定はせず、共生していく。みな、それぞれの価値を選択して世界を創造していく、皆を尊重する。 ★また、初期仏教の本が出版された。家庭を捨てる、職業を捨てる、というものである。厳しい実践であるが、自分で選択した学問領域を紹介していく。叡智的自己のありさまである。人間世界からも解脱したいという目的を持つ。 一方、大竹氏の本もある。初期仏教と大乗仏教は別の宗教。大乗仏教は、家庭、職業を捨てない。そして、3つの核心を実行していく。人間世界で利他、人間完成を実行していくことを目指す。 ★初期仏教と大乗仏教とは別の宗教であるという大竹氏の本の紹介。 日本仏教は、3つの核心が弱いと。利他、人間完成、自内證。 ★西田哲学、SIMTでいう、自己の階層。判断的自己、知的自己、 意志的自己、叡智的自己、人格的自己。 ★研究会は、意志的自己の熟練と、至誠の叡智的自己、至誠の人格的自己の研究と実践をめざしていく。それぞれの段階のSIMTで社会貢献していく。 ★『福岡伸一、西田哲学を読む』(明石書店)の紹介。生命学者によって、西田哲学と類似する生命科学の発見があった。細胞の分解と合成が同時に起きている。これは、西田哲学がいう「絶対矛盾的自己同一」と類似するという。 自己と世界、自己と絶対的一者(神、仏など)、この人生と極楽、死と生、もそうである。 観ることと行為することもそうである。行為的直観という。これは叡智的自己の意識作用。 矛盾するものが、絶対現在においては、同時に一つである。このために、苦悩の解決の実践もある。 ★哲学には、認識論、実践論、実在論がある。これまでの科学は、対象的な存在のみを扱い、実在を扱えなかった。福岡伸一氏が、対象にならない実在、生命をピュシスといい、西田哲学の絶対無と類似する。 ★ 実在論によって、認識論、実践論が違ってくる。仏教やマインドフルネス流派によって、 実在論が違うので、マインドフルネスの観察方法・範囲や修行のしかた、生き方が違ってくる。実在論の哲学の全くないマインドフルネスもある。輪廻転生の思想を持つ流派、言わない流派もある。 ★「禅」が利他、人間完成、自内證を言わないならば、SIMTはそれとも違う。西田哲学の批判に賛同する。西田哲学にならって、生涯、社会的行動(ポイエシス、家庭、職業、ボランティア活動などの利他の行動)の陰で、内面の自己洞察(プラクシス)を続ける道も開かれている。うつ病や人間関係の苦悩を解決するのは、意志的自己の意志作用のSIMTで十分である。SIMTは、一時期だけ実践するものではない。生涯、家庭での家族との対面時に、職場で他のメンバーや関連の人々との対人関係の現場で実践するもの。単なる瞑想の時は、ポイエシス、世界創造ではない(西田哲学)。世界創造と人間完成が同時で一つである(ここも絶対矛盾的自己同一)。 ★日本人は、深い人格的自己を経験したひと、(体験しなくても)これを言う人がおおい。芸術家、宗教者、哲学者、一般人など。今回は、禅僧の仙香i堪忍、〇△□)を鑑賞。機関誌で、河井寛次郎、武者小路実篤をとりあげた。 ★そして、実践。現場で活かすための至誠の意志的自己、至誠の叡智的自己、至誠の人格的自己を目指しての瞑想。 |
|
Posted by
MF総研/大田
at 10:14
| マインドフルネス心理療法
| この記事のURL