(23)久遠実成の仏
[2018年10月23日(Tue)]
★2019年1月13日は、専門家向けの講演です(下記)
上座部仏教、日本仏教の問題を超えていくために
日本の社会問題の解決のための「利他=マインドフルネス」の危機
どういう道があるか。
現代の日本的なマインドフルネスの展望
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大乗仏教の経典の不思議な言葉・思想(4)
=久遠実成の仏
次の本は、日本の仏教者が信じているという大乗仏教は
ブッダの仏教ではない、別の宗教だと指摘しています。
『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会
大乗仏教は、利他、人間完成を目指し、それを自内證で確認するというから、大乗仏教の
人は実践して自内證して確認しなければいけないはずである。
本書には、大乗仏教の言葉だとして不思議な言葉が数多く紹介されている。信じにくいであろうが、自内證で確認されるはずである。「久遠実成の仏」もそうである。不思議な言葉で、信じられるのかと思うだろう。
久遠実成の仏
「大乗仏教においては、この娑婆世界のうちには歴史的ブッダにとって本体である偉大な仏が久遠の昔に悟りをなしとげて常在し、歴史的ブッダはその偉大な仏が一時的に遣わした変化身(化身)にすぎないと説かれている(たとえば、『法華経』如来寿量品)。」(p139)
「浄土真宗の人々は極楽浄土の”久遠実成の阿弥陀仏”から、日蓮系諸宗の人々は霊山浄土の”久遠実成の釈迦牟尼仏”から、それぞれ生前にミラクルパワーをもらうことができる。」(p195)
「唯識派においては、歴史的ブッダは、受用身によって一時的に作り出された、変化身であったと考えられている。」(p215)
前にも紹介した、大乗仏教にもとづいて修行した者たちに「仏」が現れるといったことと関連する。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3942
この「娑婆世界のうちには・・・偉大な仏が久遠の昔に悟りをなしとげて常在」というのである。この人間世界に常にいるという。
西田哲学でいえば、禅の人が見性体験で経験する、自己の根底が言葉以前(井筒俊彦がいう「無分節」)であることを仏が現れると表現しているとする。そこは時間、空間も分かれておらず、西田哲学は「永遠の今」とか「絶対現在」という。これを大乗仏教は「久遠実成の仏」とたとえたとみることができる。
歴史的ブッダ(釈尊)は、西田哲学でいう絶対無を体験(見性、悟り)したのだ、それが「成道」体験だとすれば、体験者を「仏」として、それは、「変化身」という説を主張したとみることができる。
悟りの体験は、禅宗のうちでも臨済宗は多くの人がこれを体験したという。大乗仏教の経典にもとづかずに、釈尊の成道体験と同じ体験をするのだと主張する。「久遠実成の仏」は、禅宗のように見性体験をいうひとは、そういうたとえも間違いではないというであろう。このことも、見性体験、がすなわち「自内證」による確証であるというであろう。
このように、臨済宗の場合は、大乗仏教の本道であるという「自内證」はある。しかし、
いろいろな方面から、仏教が批判されてきた。悟りがあっても、「利他」や「人間完成」があるかどうかは別であろう。
大乗仏教は、自内證の体験で、「仏」になるとは言わない。自内證の体験を無生法忍(唯識は真見道)というが、まだ「仏」ではなくて、これからも長い長い期間、福徳を積んだ後、未来世において「仏」となるとする。だから、悟れば仏、とはしない。ただし、すべての人の根底が共通であり平等であるという。
ともかく、臨済宗は、大乗仏教の本道の3要素のうち、自内證はある。ただし、これを体験できる人は少なくて、これもなくては、利他、人間完成も実践したかどうかわからない。
古来、いろいろなひとが現実の日本仏教のありさまを批判した。最近、西田幾多郎の禅の師であった雪門玄松も、当時の仏教のことを厳しく批判していたことを知った。もちろん、西田幾多郎もそうであった。70年たって、大竹氏が、この本で、日本の仏教は、みな大乗仏教の本道からズレていると指摘した。では、大乗仏教でなくていい、というだろうか。初期仏教でもなく、大乗仏教の本道でもないとすれば、何なのか。歴史的ブッダの仏教でもなく、大乗仏教でもないとしたら、何か。それが問われている。
この問題に関して特別講演
2019年1月13日(日曜日)
、午後1時30分から4時30分まで
埼玉県さいたま市浦和区、埼玉会館で。
★最近明らかになってきた上座部仏教、日本仏教の問題を超えていくために
日本の社会問題の解決のための「利他=マインドフルネス」の危機
どういう道があるか。
講師:大田健次郎(マインドフルネス総合研究所、日本マインドフルネス精神療法協会)
【書籍紹介】『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3962
★西田幾多郎による仏教批判
【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
【自己保身、「空気」を読む、忖度する】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3866
『忖度社会ニッポン』(片田珠美、角川新書)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3873
『「空気」の研究』(山本七平、文春文庫)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3875
阿部欣也の「世間」。記事の本のほか『「世間」とは何か』(講談社現代新書)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3853
【目次・書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3918
『日本型組織の病を考える』村木厚子、角川新書
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3916
『異端の時代 〜 正統のかたちを求めて』森本あんり、岩波新書
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
『見て見ぬふりをする社会』マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社
【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
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Posted by
MF総研/大田
at 21:11
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エゴイズム
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