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(20)大乗仏教の経典の不思議な言葉・思想(1) [2018年10月16日(Tue)]

大乗仏教の経典の不思議な言葉・思想(1)
 =信じて行じて自内證して確認するはず

 次の本は、日本の仏教者が信じているという大乗仏教は ブッダの仏教ではない、別の宗教だと指摘しています。

『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会

大乗仏教は、利他、人間完成を目指し、それを自内證で確認するというから、大乗仏教の 人は実践して自内證して確認しなければいけないはずである。 なぜなら、そうしないと大乗仏教の経典のいうことも単なる理想論であって、事実ではないと みなされるおそれがある。
 本書には、大乗仏教の言葉だとして不思議な言葉が数多く紹介されている。 これが真実であるのかどうか、または、何かの比喩であった、と確証できる体験(=自内證) ができるひとが何人かいて、証言できなくてはなりません。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3934
 「大乗仏教が仏説であることは、推理によって論証されるべきことではなく、大乗経にもとづいて修行した者たちの悟りの体験によって自内証("個人的に確証")されるべきことなのである。悟りをもたらす以上、大乗経はいつわりではない。」(p103)

そうでないと、大乗仏教経典の言葉が真実であるかどうかわかりません。「いつわりではない」とは言えないわけです。そのことを「自内證」というでしょう。本書の著者が、大乗仏教の本道は、利他、人間完成、自内證であるというのですから。

自内證して確認すべき不思議な言葉(1)

では、本書から不思議な言葉(の一部)を列挙します。

★輪廻に関する言葉
 「大乗仏教においては、たとえ異生は死後に自らの業――罪悪と福徳―― に応じて娑婆世界の五趣(阿修羅を入れて六趣と説かれることも多い)のいずれかに転生するにせよ、大乗経に もとづいて福徳を積んだ者は仏国土(そこには人、天のみがいる)に転生し得ると考えられている。」(p228)
 (「異生」=転生者。「業」=罪悪と福徳。「五趣」=地獄、畜生、餓鬼、人、天。)

 「仏国土」というが、どこか、確証できるわけだ。禅のひとがいうのと同じなのか、違うのか。
 「仏国土に転生し得ると考えられている」というが、それが事実であるという体験は、禅の見性(悟り)や真宗の回心を得た人は、同じようなことだというかもしれない。なお、大乗仏教のすばらしいところは、見性さえすればいいとしなかったことだ。大乗仏教では、これにあたるところは、第7段階の無生法忍(唯識は真見道)であり、悟っても「仏」ではないとしていることだ。無限に利他と人間完成のために働く。この点は、西田哲学の実践論(「至誠」)も類似する。自己成長は死ぬまで続く。大乗仏教の思想はすばらしいが、しかし、現代に、禅ではなくて、大乗経の教えで自内證できるひとがいるのだろうか。禅、西田哲学の実践では、自内證すれば、過去世、未来世のみかたは変わる。永遠の今しかないのだから。

★大乗仏教のブッダ(仏)が現れる
 大乗仏教のブッダが現れるという不思議な言葉がある。信じにくいひとが多いだろうが、自内證で確認できるという。
 「それらはいずれも、仏みずからが名のってはいない以上、厳密に言えば、名前のない仏である。 大乗経にもとづいて福徳を積んだ者たちの前に現われる、大乗仏教のブッダに対し、阿弥陀仏、大日如来というふうに名前をつけることは、われわれの側のはからいにすぎない。(中略)。ただ、名前のない仏が現れるという事実があるだけである。」(p221)
 「大乗仏教のブッダは、大乗経にもとづいて福徳を積んだ者たちの前に、彼らの道が間違っていないことを保証するかのように現れてくる。だから、大乗仏教徒はただ彼らに倣って大乗経にもとづいて福徳を積むよう心がけるのがよい。それだけで十分ではあるまいか。」(p221)

 大乗仏教のブッダとは、禅の見性(悟り)を得た人は、その体験する自己根底だというであろう。 西田哲学は、禅の見性を肯定しているが、西田哲学でいう絶対無、絶対的一者だろう。 だから、禅のひとは、大乗仏教のブッダが現れるのは、事実だと確認するのである。 しかし、著者がいうように、現代に、大乗経で福徳を積んで「大乗仏教のブッダ」を 観たひとがいるのだろうか。文献にある故人ではなくて、現代も生きているひとがいるのだろうか。

 この著者は、現代人が大乗仏教の経典にもとづいて「どのように生活」すれば、上記のことを自内證によって 正しいことを確認できるかという「実践論」の詳細は記述していない。もちろん、「六波羅蜜」だとはいうが、 各種の経典は、別にもっと詳細があるかもしれない。(法華経の安楽行のように)
 どうすればいいのかは、仏教教団も検討すべきだろうが、だが、経典の読み方は大変難しい。 大乗仏教の経典の中から実践論を抽出する作業は多くの時間を必要とするから、たいていのひとはできない。 本書の著者、または、別の人が、別の著書で書いていただければ、各諸宗の僧侶、学者は助かるだろう。そうでないと、本書は、ただ、日本の仏教者が大乗仏教の本道を外れていると批判したことと、利他、人間完成、自内證という素晴らしい「理想」を示してくれたという点にある。だが、実践論の詳細がないと「理想」を実現できない。
 禅宗で見性をいう人は、これも不要なのだが、自内證の体験はいうが、それだけならば「自利」となるが、利他、人間完成、自内證の内容をどう考えているのか、説明の言葉が少ない。鈴木大拙や西田幾多郎の説明と違うところもあり、同じであるのかわからない。

(続く〜大乗仏教の経典には不思議な言葉がまだある)
この問題に関して特別講演
2019年1月13日(日曜日) 、午後1時30分から4時30分まで
 埼玉県さいたま市浦和区、埼玉会館で。

★最近明らかになってきた上座部仏教、日本仏教の問題を超えていくために
日本の社会問題の解決のための「利他=マインドフルネス」の危機
どういう道があるか。

講師:大田健次郎(マインドフルネス総合研究所、日本マインドフルネス精神療法協会)

【書籍紹介】『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会 【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
【自己保身、「空気」を読む、忖度する】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3866
『忖度社会ニッポン』(片田珠美、角川新書)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3873
『「空気」の研究』(山本七平、文春文庫)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3875
阿部欣也の「世間」。記事の本のほか『「世間」とは何か』(講談社現代新書)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3853
【目次・書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3918
『日本型組織の病を考える』村木厚子、角川新書

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3916
『異端の時代 〜 正統のかたちを求めて』森本あんり、岩波新書

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
『見て見ぬふりをする社会』マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社

【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
Posted by MF総研/大田 at 19:20 | エゴイズム | この記事のURL