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(9)対処法(3)傲慢人間の意向を忖度するイネーブラー(支え手)3段階=第1段階「許容」 [2018年08月29日(Wed)]
【書籍紹介】「忖度社会ニッポン」(片田珠美、角川新書)

(9)対処法(3)傲慢人間の意向を忖度するイネーブラー(支え手)3段階
 =第1段階「許容」

 忖度する人間の多い組織の弊害を克服したい。 だが、やっかいなことに「傲慢人間の意向を忖度するイネーブラー(支え手)」がいる。
 世の中には、傲慢人間が一定の割合で存在し(西田哲学でいえば、独断偏見の人間)、 その周囲には必ずといっていいほど、傲慢人間の意向を忖度する(広義) イネーブラーがいる。(p178)
 (名誉ある称号、地位、ビジネス、医療、学問に従事する専門家が、前著でみたような歪んだ力を行使する人間と賛同者・イネーブラーがいる。)

 傲慢人間の周囲にいるイネーブラーは、3段階に分けられる。(p179)

傲慢人間の周囲にいるイネーブラーの第1段階「許容」

 第1段階 許容、第2段階 忖度、第3段階 称賛、である。

 「最も多いのは、第1段階の許容である。 許容するのは、主として怠惰、自己保身、恐怖による。」(p179)

 見て見ぬふり、怠惰、現在のポジションを失いたくない、自己保身、恐怖の支配、 復讐される、などおぞましい心理が列挙されている。不正の許容、新しい利益がほしい、批判する 人の排除も見て見ぬふり、も。
 これらは、みな、大乗仏教(法華経、唯識、華厳経など)では、気づいて抑制せよと主張した悪の心理、「煩悩」である。 道元禅師は「己見我利我執」といい、西田哲学では、独断偏見であると思う。ブームの「マインドフルネス」は、大乗仏教のすぐれた観察領域を排除しているものがある(注)。なぜ、指摘しないのか、その時にも「忖度」(広義)が働いている。
    (注)もちろん、煩悩、悪の心理を観察しないでもよい領域がある。たとえば、「痛み」という感覚を軽減したいという目的のマインドフルネスがある。MBSRである。また「集中力」の向上も悪の心理の観察は不要であろう。うつ病の予防のためのマインドフルネスも深い心理の観察は不要かもしれない。それは、その領域で効果のある「マインドフルネス」である。
 しかし、家庭や職場、ボランティア活動などの場では、忖度する「悪」の心理の観察、自覚が 必要である。「悪」は、法律的なものではなく、仏教でいう、自他を苦しめる心理である。組織の活力を奪う心理である。

 「傍観者は、いじめっ子の傲慢なふるまいを許容して、 間接的に加害者になっているにもかかわらず、ほとんどの場合、その自覚がない。」(p181)

 自分が間接的に加害者になっていること(=仏教でいう「悪」)の自覚がないので、大乗仏教は「煩悩」として列挙して、 観察し自覚するように主張した。純粋の出家ではなくて、家族、職業を持つと、こういう自他を苦しめる煩悩が起きるので、 大乗仏教や道元禅師は、煩悩の観察自覚抑制を強調した。
 このことは、いよいよ、重要性を増している。専門家のパワハラ、セクハラ、不正などの事件があいついている。 法律にふれるほどの悪質なものが報道されているだけであり、多くの集団で、3種のイネーブラー によって、弱い立場の人に、つらい状況が持続している。
 煩悩、独断、己見我利我執、本音を観察して自覚しないと、直接に間接に他者を害していても、自分では悪の自覚がないので、 深い実践をせず、悟り(大乗仏教は無生法忍、すべての人の根源、絶対的平等性、絶対的一者、無分節)を得ることはできないというのだ。それが大乗仏教であった。そのすぐれた部分が失われた。
 現代人は、大乗仏教のように煩悩の観察をしないので、悪に加担して自覚がない「イネーブラー」になっている。
 著者は「自分が許容しているという自覚は持っておくべきだ. また、暗黙の許容によって、自分自身が加害者になりうることも忘れてはならない」(p182という。
 すくなくとも、 煩悩、本音の観察、気づき=自覚(西田哲学では自覚は別の意味を持つ)をすべきことを本書の著者はいう。

 マインドフルネスSIMTでは、「煩悩」を「本音」として観察するので、気づき、自覚できるようになる(ただし、どこまで深い煩悩に気づくかは実践の方向、程度による)。
 自分の倫理的、宗教的な「悪」、ふがいなさに気づくひとはいるだろう。 しかし、「気づいた」その次の反応、行動をどうするか、個人の置かれた状況による。罪(倫理的)を犯しているという自覚を持ちつつ思いきった行動をとれないで、自分を責める、慙愧する。別の人は、罪を感じて苦しいので行動を起こすこともあるが、現実はイネーブラーに阻止されて厳しくその徹底できないこと、未熟さを嘆くが、自己の悪(倫理的)を自覚している。深く「マインドフルネス」するもの、深く観察するものは、自分は悪人(倫理的、宗教的)であることを自覚している。組織を居心地よくしていくために必要なことは、まず、自分も「イネーブラー」になっていることの、気づき、自覚である。
 「イネーブラー」の第2段階は「忖度」人間である。

 第5章の「対処法」を続けてみていく。 。
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【目次・書籍紹介】「忖度社会ニッポン」(片田珠美、角川新書)


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Posted by MF総研/大田 at 08:18 | エゴイズム | この記事のURL