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認知的複雑性が乏しい各種の専門家の「ゴリ押し」 [2018年08月12日(Sun)]
「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)

認知的複雑性が乏しい各種の専門家の「ゴリ押し」

 西田幾多郎がいうように、この世界には独断偏見が充満している。 多数派となり、「ごり押し」する。仏教やマインドフルネスには、 深い哲学が関連する領域だから、理解出来るひとだけが参入するといいのだが、 世襲とか、他の領域で活躍した人が何かのきっかけで参加してくることがある。理解が難しい哲学があることに直面するが、 理解できない場合に、深いことを言う人に嫌悪して、攻撃的になる人がいる(全員ではなくて、攻撃性のある強い人)。この辺の心理を 解説した本がある。
「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)
で、その心理を知ることができる。「ゴリ押し」は、 解釈が難しい宗教、哲学、マインドフルネスなどの領域でも起きる。

 日本には、道元禅師や鈴木禅哲学、西田哲学などがあるのに、なぜ、日本仏教は国民から離れたのか、なぜ、日本のひとが「マインドフルネス」のような社会貢献活動ができないのか。

 「自分の考えだけが絶対的に正しいと信じこんでいるかのように、自信満々に自己主張し、人の意見に耳を 傾けようとしない人がいる。」(p70)
何らかの利益を得たい本音を持つ仲間をだきこんで、多数派となり、他の立場、意見の人を排除する場合がある。
このような行動の背後にあるのは、他の立場からの解釈を理解できないからだ(p81,83)という。

★認知的複雑性が乏しい
 「「正しさ」をゴリ押しする人に目立つ特徴は、何と言っても認知的複雑性の乏しさだ。
 認知的複雑性とは、ものごとを複雑に、つまり多面的に見ることができるかどうかということである。」(p79)

 「だが、認知的複雑性の低い人は、ものごとを多面的に見ることができないため、自分と違う考え方を容認することができない。 たとえば、ひとつの出来事に対してもさまざまな見方ができるということを認めることができない。 だから、自分の「正しさ」を強引に主張し、意見の異なる人のことを非難したり、攻撃するのである。」(p80)

 「認知的複雑性の低い人の場合、前者の意見に接して「なるほど、そうだな」と納得すると、その後で後者の意見に接しても聞く耳をもたない。 一度取り入れた考えと矛盾する意見には心を閉ざしてしまう。
 認知的複雑性が低いと、矛盾する情報を頭の中でうまく消化することができないのだ。そのため、矛盾する情報を前にするとイライラする。」 (p81)

 禅の学問や実践の世界にも、これがあるようだ。次の記事で見た。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3379
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3385
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789

 道元の深い禅哲学や鈴木大拙の禅哲学や西田哲学は難しいところがある。 秋月龍aが禅者(僧侶、禅学者をさすだろう)は思想的な怠惰だという。 哲学者は、道元に深い哲学があることを理解している。
 だが、秋月龍aは宗教関係の思想的な怠惰を指摘したが、すべての組織ではあるまい。が、このようなことが、たまたま組織の幹部、トップにあると、深い哲学を理解できないとイライラして勉強しようとしないだろう。他の意見を封じ込めるだろう。自由な発言を許さないだろう。

 道元や西田哲学のように日本に深い哲学のあることを説明しようとすると、認知的複雑性の低いならば、激しく怒るものがいるだろう。聞こうとしない者がいるだろう。トップや幹部がそうであれば、その組織内では 深い人間哲学の学問的研究もできないだろう。深いマインドフルネスの検討もできないだろう。提案すれば、何かの理由で、攻撃される不安、恐怖を覚えるだろうし、排除されるおそれを感じるだろう。
(参考)三浦朱門氏の言葉 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3525 )

☆マインドフルネスや仏教宗派には、それぞれの哲学がある
 仏教やマインドフルネスにはそれぞれの流派に哲学があるが、それぞれの公式見解だけを認める組織では、自由な学問的な検討やマインドフルネスもあるという検討もできない。 そういう組織ならば、社会貢献活動もできない。 その組織内ではやる気が起こらず活動サービスは沈滞化し、やがて、社会内存在としての信頼を失って崩壊するだろう。
 そうなっては、大変である。今、若い人たちに新しい時代にふさわしい組織のありかたを自由に提案してもらって、よきものは受け入れていく組織であるかどうか。禅には多様な側面がある。究極の一つに限定せずに、若い僧侶が現代に貢献できるところを解釈して多角的に活用されてもいいのではないかと思う。宗教で最も大切なことは市民、檀家信者の苦悩解決の支援、それが目的ではないのだろうか。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3853
【目次・書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3835
【New 目次】非定型うつ病のマインドフルネスSIMT



https://blog.canpan.info/jitou/archive/3982
★(参考)多数派が正しいわけではない
Posted by MF総研/大田 at 07:29 | 私たちの心理療法 | この記事のURL