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反抗が敗北に終わるとしても自分に誠実に生きる [2018年07月13日(Fri)]

われ反抗す、ゆえにわれら在り
 反抗が敗北に終わるとしても自分に誠実に生きる

 NHK Eテレビの「100de名著」のテレビ、「ペスト」の第4回は「われ反抗す、ゆえにわれら在り」を見ています。このテーマは、この記事もまもなく、いったん終わりにします。

 反抗するとしても、理を尽くして、穏健に反抗の行動をするのです。偉そうなことを言い苦悩する人を観ず、地位・名誉・収入・重要人物としてあがめられるなど自己満足しているのではなく、現実の苦を観て他のためになることで自分のできることをするのです。解説者の中条さんは、こう言います。

 「カミュは急進的な「革命」ではなく、あくまでも人間的な尺度をもった「反抗」にこだわりました。 革命を強風に、反抗を樹液に喩えて、人間は後者によって粘り強く不条理に立ちむかうべきだと説いたのです。
 たとえその反抗が基本的には敗北に終わるものだとしても、ギリシャ神話のシーシェポスのように、山頂まで運びあげては転がり落ちる岩を何度でもまた運びあげながら、その運命を神のものから人間自身のものに変え、そこに幸福を見出すことさえ可能だというのです。」(p104)

 (注)「マインドフルネス」がブームになったのは、一般市民と心理療法者、医師による教団仏教・学問仏教への批判なのではないでしょうか。開祖(=神のもののごとく基体化)の抽象的な理念から人間自身のもの=現実の痛み、ストレス緩和、うつ病、人間関係苦などを改善する尺度=に。このような現実苦も含まれていたはずですが、失われているのでは?)

 上の中条さんの言葉の続きです。

 「それは不条理との戦いにおいて、敗北や挫折や失敗が人間の条件であるとしても、リウーやタル―やグランや、変化したあとのランベールのように、「自分にできることをする」ことのなかにこそ、人間の希望があるということではないでしょうか。」(p102)

 偉そうなことを考えて、言うだけではなくて、現実に他者のどのような苦を支援する「行動」をしているか。信奉者を賛同することではなく、自分が苦悩する人に直接どんな行動をしているか。反抗者は少数ですから敗北に終わることが多いのですが、それでも反抗するのです。自分がたった一度、この世界に人生を与えられた証として自分に誠実に生きるのです。他者に追随せずに。カミュの主張に似たことをしたのが、道元、白隠、良寛、宮沢賢治でしょうが彼らも「敗北」でした。当時の組織では低い地位か自主的に脱退した位置でした。しかし、反抗的意志を貫きました。
 追随者として生きると、死ぬ時に「自分の人生ではなかった、偉い人の理想に乗った、あの人の人生だった」となるのではありませんか。しかし、自分の本音に従って、偉い人に反抗したが「自分は自分の人生を生きた」と思うのではないでしょうか。

(続く)
【目次】「自分の中にある悪」アルベール・カミュの『ペスト』
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Posted by MF総研/大田 at 07:37 | エゴイズム | この記事のURL