社会悪と個人悪
[2018年06月06日(Wed)]
社会悪と個人悪データ改竄、隠ぺい、うそ、おさえつけ、いじめ。排除、セクハラ、パワーハラスメント、アカハラ、ドクハラ、マタハラ・・・。 数々のエゴイズム、それで苦しむ被害者。日本にも、西田幾多郎博士が70年前に指摘した社会悪と個人悪が噴出しています。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2344 ★社会悪と個人悪 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2228 ★専門家のエゴイズム 組織の不正、社会悪学問にもあると、ロゴセラピーのフランクルがいいました。学問における全体主義、画一主義、還元主義。 組織における全体主義、画一主義、還元主義。実権を握ったものが、一つのことを押しつけて、構成員の自由、個性、創造性を抑圧する。幸福ではない。人生価値も「生きがい」も失う。幹部とその迎合者だけが幸福である。大小の組織にみられる。社会悪が日本の多くの組織に起きている。全体的一の不正、社会悪である。パワハラもこれである。これを犯すのも、組織ではない、幹部と迎合者、個人のエゴイズムである。個人悪「個物的多が世界的全体的一として世界主体の意義を有する全体的一を否定する時、個物的多の不 正があるのである。・・・個人悪と云ふ」これは、個人のエゴイズムの行為が、組織の社会創造の貢献を妨害することだろう。 これは、地位の低いものでも犯す悪、エゴイズムである。これも多い。つかいこみ、いじめ、排除、うそ、・・・。セクハラはこれである。「組織的ではありません」と弁明される。しかし、まじめなはずの組織の目的を否定する。組織の評判を落とす。重大であれば、組織が崩壊する。 この2種の不正、悪、エゴイズムが日本中に蔓延しています。そのために、学問、ビジネス、医療などの発展を妨害しています。個人の幸福、生きがいを失わせています。 なぜ、そんなことをするのか。成長過程で、家庭、仲間、友人、教師、宗教者などからみせつけられて学ぶ。 たとえば、「僕はいじめがあった」と書いたのに、校長先生と教育委員の人は「いじめはなかった」とPTAで報告した。 父親に「先生はうそをいってるよ」というと、「バカだな。先生のいうようにしていろ。先生ににらまれると怖いだろう。もう、だまっていろ」と言われる。 「そうか、そうすればいいのか」と生き方を学ぶ。 こんな社会ではいけないはず。個人の自由がない、個性、創造性を発揮できない組織、社会。無評価えあはいけない。「そんなことはよくない」と評価しないといけない。学問もまた、全体主義、画一主義、還元主義を押し付ける。フランクルがいうように、狭い枠にとじこめてはいけない。既成宗教も学者も統一見解、自分の解釈をおしつけるかもしれない。西田幾多郎、神谷美恵子、そのテレビ放送の解説者の若松英輔氏が批判したように。 仏教とは何か、も解釈がわかれる。マインドフルネスとは何かも解釈定義が分かれる。文献に忠実主義をよしとする派閥もある。いくら文献に忠実であっても、現代の問題の解決に効果が弱いのであれば、そこに留まるべきではないという有効性を重視すべきであるという派閥。 ひとはみな、自分の好き嫌いで動いている。社会のためということを深く考慮しない。西田幾多郎博士がいうように、独断と偏見が充満しています。 しかし、あきらめてはいけない。社会悪と個人悪の心理に気づいて、抑制して、世界のため他者のために働く努力を続けなければならない。そうでないと、闘争、ひっぱりあい、うそ、偏見、苦しみの多い社会が続く。いつ、自分の家族が被害者になるかもしれない。特に、幹部、宗教者、学者、教師、評論家の責任は重い。 エゴイズムの心理を観察して抑制すると心の病気が改善し、家庭が居心地よくなります。 西田幾多郎、鈴木大拙、井筒俊彦など、こうしたすぐれた生き方を教えているので、少しでもあやかりたいと思うのですが、こういう人たちを嫌う学者、評論家もおられます。どういう方向へいけばいいのでしょう。 【連続記事】専門家のエゴイズム2018 |