神谷美恵子「生きがいについて」(14)=自分を包み生かしてくれるものからの使命感、宗教以前
[2018年05月29日(Tue)]
神谷美恵子「生きがいについて」
=(14)自分を包み生かしてくれるものからの使命感、宗教以前
第4回がありました。(p )は、NHKのテキストのページです。
大きな試練を受けつつある人が生き抜いている多くの実際例を見て、そこに共通に見られるもの、「生きがい」を発見した。似た体験を神谷もした。
人間を越えたもの、変革体験(p119)、自分が必要とされている(使命感)がキーワードでした。
既成の宗教(キリスト教、仏教の文字で書かれた世俗諦など)
が決めた宗教以前のもの(p128)を意識をする。
「現実の困難は変わらない。しかし、自分をとりまく大きな力の中に自己を発見していく。その道のりにこそ「生きがい」は見いだされる」
神谷は、長島愛生園の人々のなかに、生きがいを見出して、執筆した。
このような自己の気づきをして生きがいを持つひとがいるのだが、解説の若松さんは、「宗教が邪魔をすることがある」といった。宗教者や学者が邪魔をすることがあるでしょう。
本を読む時に、何を読むかがとても重要ということになる。
生きがいは、人間、言葉、自然が示してくれることがある(p103)。人物、聖書経典(じかに、生きがいを否定する既成の解説によらず)、自然に触れることで、生きがいを発見するかもしれないというのです。
こうして、若松さんに導かれて神谷の生きがいをみると、何をするかという当為価値をいうのではなくて、すべての人間に共通にある、存在価値が働いていることを言っているように思えます。
似たことは、西田幾多郎の言葉もあります。
自己の内奥に自己をこえたものがあると。ただし、それ自体で存在する「基体」ではありません。頭のいい学者は
そう思っているといって、こうしたすぐれた生きがいを否定します(若松さんが既成の宗教が邪魔をするということ)が、違うのです。言葉で説明された宗教以前があるのです。
キリスト教、禅、念仏に共通のこれを生み出すもの、言葉以前、宗教以前をいいます。ロゴセラピーのフランクルも「一人類教」を言いました。
日本人には、そこをいう人が大勢います。
このブログでは、武者小路実篤、不染鉄、河井寛次郎を見ました。川端康成、志賀直哉は、「千羽鶴」「暗夜行路」で、死にたくなった人が、自然に触れて変革体験が起きたことを示しています。田宮虎彦の「足摺岬」は、荒々しい自然とやさしい人の親切さで死ぬことをやめます。
極限状況で生きる人たちに必要な「生きがい」です。それなのに、宗教や学問(それをするのは人です、自分は偉い知性を持つとほこる人たち)が邪魔をするのです。その偉い宗教者、学者も、「生きがい」「宗教学問以前のもの」に包まれているのに。
この生きがいは、難病、がんの人、死をおそれる人、経済的に失敗したり、犯罪や虐待など人格をしいたげられたり、愛する人を失ったり、いじめられて死にたくなっている人に救いになるのです。
(時間を作ってもう少し詳しくみたい。神谷の言葉で「生きがい」の発見につながる人が、このブログの読者の中に一人現れるかもしれないのです。)
【目次】神谷美恵子「生きがいについて」
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Posted by
MF総研/大田
at 06:59
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深いマインドフルネス
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