虐待された人、する人の苦悩
[2018年03月26日(Mon)]
虐待された人、する人の苦悩=自殺対策強化月間によせてインターネットで「虐待」「自殺」で検索すると多数の記事が出てきます。 こちらには、 施設における虐待が報道されています。日本でも、高齢者の施設での虐待がよく報道されます。 マインドフルネスSIMT(自己洞察瞑想療法)は、生きていくのに必要な心のもちいかたですので、早くから虐待にマインドフルネスSIMTを活用していただきたいと 思ってきました。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2809 ★<目次>=虐待防止学会に参加して ★<目次>虐待関連の記事 虐待される被害者側には、耐え難い苦悩の感情が起きます。虐待されている児童には、何も悪いところがありません。虐待された子の自殺もあります。 大きくなってから、マインドフルネスSIMTを実践していただける年齢になったら、可能性があります。 虐待されて育ったので、今、大きくなってから感情の処理がうまくできないとか、親からさえも愛されなかったという苦悩、親から人格を否定された苦悩でつらいなどが起こるかもしれません。 1) 被害者が大きくなってから、虐待されたことによって、今もつらいならば、マインドフルネスSIMTを実践していただけます。 2) 大人になったが自分がわが子を虐待しそう、している。変わりたいという気持ちのある場合。 3) 虐待について支援している人が、クライアントにアドバイス。 虐待されて育つと、脳神経の成長に影響して、大きくなってから、不安定で、心の病気になりやすいかもしれません。マインドフルネスSIMTで、よくこころを観察していくと、ある程度、変わることができます。つらさを乗り越えていただきたいと思います。 人格否定、人間性を否定されたような苦しみを持つひとには、人格的自己レベルのマインドフルネスが必要なクライアントもあると思います。境界性パーソナリティー障害を治す、リネハンの弁証法的行動療法のように、深い自己に目覚めるのです。対象化された自己像に苦しむのではなく、それを超えて内奥に「生きよ」と働く力があることの自覚であり、宗教的レベルです。性的暴力の被害者もそうでしょう。 自己の哲学はかなり深いものがあり、西田哲学の研究者も研究しています。 あとは、その実践論の精緻化と実践法の開発です。宗教的レベルのマインドフルネスを否定しないほうがいいです。深いマインドフルネスでないと、救済が難しい苦悩があるでしょう。宗教レベルのマインドフルネスは避けるべきというのは、偏見です。「独断」です。西田哲学、井筒哲学などによれば、すべての人の根底に自己を超えた働きがあるというのです。『ソラリス』もそれをいうようです。フランクルも。 ★自殺対策強化月間によせて(目次) https://blog.canpan.info/jitou/archive/3703 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2809 ★<目次>=虐待防止学会に参加して ★<目次>虐待関連の記事
• うつ病、不安障害を心理療法で治す=行政は対策をとりにくい • 虐待の背景に親のうつ病、不安障害が治らないケースも • 意志的自己レベルの自己洞察からさらに深い自己洞察を必要とする苦悩も • 児童虐待 • 人はみな人格的存在 =虐待するひとはこれを知らない • ストレス、怒りの爆発をどう防ぐ • 支援からもれる問題がここにも https://blog.canpan.info/jitou/archive/2809 ★<目次>田宮虎彦・虐待を描いた小説家
★小説『足摺岬』を書いた田宮虎彦が虐待をテーマの所説も https://blog.canpan.info/jitou/archive/2811 ★自殺を思いとどまる『足摺岬』の場合 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2813 ★田宮虎彦の小説『父という観念』 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2814 ★田宮虎彦の小説『童話』 |
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