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『寺よ、変われ』 [2018年01月28日(Sun)]
寺よ変われ.jpg

『寺よ、変われ』高橋卓志、岩波新書

 「形骸化した葬儀と法事を続けるだけなのか?」(帯より)

 仏教は、現状でいいのだろうか。これが仏教の本来の姿だと思うのだろうか。 これを問題にした本がある。

 「日本の寺は、いまや死にかけている。形骸化した葬儀・法事のあり方を改めるだけでなく、さまざまな「苦」を抱えて生きる人々を支える拠点となるべきではないか。「いのち」と向き合って幅広い社会活動や文化行事を重ね、地域の高齢者福祉の場づくりにも努めてきた僧侶が、その実践を語り、コンビニの倍、八万余もある寺の変革を訴える。」(カバー帯より)

目次
プロローグ
第1章 寺は死にかけている
  「死後」のみにかかわる仏教
   思考停止状態
第2章 なぜ仏教の危機なのか
第3章 苦界放浪―いのちの現場へ
第4章 寺よ、変われ
第5章 葬儀が変われば、寺は変わる
エピローグ 寺が変われば社会は変わる

 「世界は「苦」に満ちている。しかし、その「苦」から人々を救う手立てはある。それは仏教の教えであり、その教えに目覚め、自利・利他の意識をもった坊さんたちが、この請願をつねに唱えながら社会にかかわるという前提があったからだ。
 しかし、さまざまな「苦」を抱えるこんにちの日本のどこを見まわしてみても、「苦」に対応する伝統仏教の姿はない。影さえ見えない。旧態依然とした儀式を平然と続けるだけの伝統仏教からは、「苦」へのかかわりは感じられない。・・・・
この現代社会に充満する「苦」の現場に伝統仏教がかかわらないのなら、伝統仏教の存在価値は無いに等しい。そして、それは必然的に消滅に向かう。」(p8−9)

 一部の学者や、西田幾多郎、鈴木大拙、さらに多くの仏教学者によれば、禅や仏教は、苦からの解放の方法を教えてくれるはずである。ところが、現状はそうは見えない。著者が僧侶である高橋卓志氏が、実情を紹介している。

 おかしいという本音を持つ僧侶も多いだろう。なぜ、変われなかったのか。これからは、変われるのか。声をあげられるのか。

 (もちろん、一部に、苦を救う禅僧がいた。私も救われた。今もおられる。しかし、メディアなどはとりあげてくれない。なぜなのか。もちつもたれつの間か? 儲けにならないからか? 本音は、その当事者でないとわからない。)
 (続く)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3675
<目次>「寺よ、変われ」
(1)「苦」に対応する伝統仏教者がいない

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3676
(2)長老主義と大寺権威主義

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3677
(3)四苦に寄り添いながら、課題の解決を図っていく


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3470
★偉大な教団人の出現が得られるかどうか

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3471
★教団が再生しないならば、「既成の宗門を離れたところで展開されていく仏教」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3674
★自由にモノが言えない日本の組織
Posted by MF総研/大田 at 21:28 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL