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書籍紹介「学者は平気でウソをつく」 [2018年01月20日(Sat)]
610654_l.jpg 【書籍紹介】

「学者は平気でウソをつく」

 「学者は平気でウソをつく」和田秀樹、新潮社

 衝撃的なタイトルです。学問的な見解、仮説は絶えず、塗り替えられていくのです。だから、 以前の科学的、学問的な仮説、見解はウソであったことになります。結果的に。
 よくわかります。私が研究している学問分野でそれが起きていることを承知していますから。このブログの読者のみなさんも、科学とか学問には限界があり、くつがえされることが多いということを理解しておかれることが大切だと思います。

 こちらに、表題の本の目次のすべてと、内容が少し紹介されています。
http://www.shinchosha.co.jp/book/610654/
新潮社のホームページ

一章 医者を信じると損をする――医学のウソ

二章 人の心なんかわからない――精神分析のウソ
    母親は悪者か/洗脳を解いてくれたアメリカ留学/治療者が患者を「操作」する/積極的にモデルチェンジをはかったフロイト/「共感」を用いて成果を上げたコフート/患者が変われば理論も変わる/成功者のための精神分析/時代を先取りした森田療法/トラウマは思い出させるな/過去は肯定的にとらえたほうがいい/認知行動療法の時代/雅子さまの治療/治療者はそんなにえらいのか/信じる者は救われる?/人の心はそれぞれ違う
三章 「心の病」はころころ変わる――精神医学のウソ
    マニュアルで診断できるようになった「心の病」/精神医学の業界標準/診断名を変えても差別はなくならない/患者の話を聞かない精神科医/五分間診療がなくならない理由/心の病は画像でわかるのか/効く薬、効く理由/うつに薬が使えなくなった?/成果の出ない試行錯誤/一九九五年は“トラウマ元年”/「新型うつ」という病気はあるか/テレビドクターの罪/心理占いの域を出ない「病気」/脳科学は基本的に仮説
四章 経済学者にカネを扱う資格はあるのか――文系学問メッタ切り
    経済学はどこまで信じられるか/人が持っている情報はそれぞれ異なる/人は合理的には行動しない/LTCM事件で露呈した経済学者の甘さ/経済政策を学者に頼る愚/減税すれば景気は上昇するのか?/日本の経済学者は金持ちの味方/規制緩和という聖域/名経営者をぞんざいに扱う日本の大学/社会問題になったアメリカのゆとり教育/教育現場を知らない教育学者たち/数学者の罪とノーベル賞信仰/ゆとり教育の信者による大学入試改革/統計だけで社会は語れない/何でも自明の理のごとく語る社会学者/成果なくして格式の高い法学者/「審議会」の正体/学問を疑え
おわりに

 2章から4章は、仏教の学問、科学にも起こっていますので、詳細な目次も転載させていただきました。(新潮社のホームページより)

 仏教の学問や禅の学問、また哲学などが、マインドフルネスや瞑想、坐禅に関係しますが、こういう領域の学者の見解も妄信しないほうがいいのでしょう。同じ人、同じ経典に対して、別の解釈があります。間違いもあるわけです。もう、新しい学説が発表されていますが、組織の中のトップや学者は、変わろうとしません。組織員に古い学説を教えつづけます。現代社会が変化している状況でも、古い学説を墨守するので、国民の要請に応じることができません。
 また、「マインドフルネス」も「科学的」だとか宣伝する人が多いようです。そのような言葉を言ったり、書いたりしている人も、本書を読んだほうがいいでしょう。言葉の使い方を変えないと、ウソをついていることになるでしょう。
 本書を読んだあとでも、「効果が科学的に証明」というならば、クライアントや顧客をあざむくことになり、極めて悪質です。独断、エゴイズムです。もし、本書の趣旨を理解しないでそう言うならば、科学を知らないひとが科学をいうという矛盾ということになるでしょう。日本人は、欧米のもの、科学を妄信しやすいのだそうです。

 本書の言葉の一部を引用します。

 「一般に日本人は無宗教だと言われますが、学問こそが日本人の宗教なのではないかと思うくらい、日本人は学問を妄信する傾向が強いように思えます。一神教の神のような絶対的な存在がないかわりに、学問を絶対的なものとして信じてしまうのかもしれません。」(p8)A

 「学問の進歩というのは、多くは仮設にすぎず、最先端の学者が研究した際先端の理論や実験結果であっても、盲目的に信頼するというのは危険なことなのです。どんなにオーソライズされているものであっても、将来的に覆される可能性は小さくありませんし、少なくとも「絶対的な真実ではありません。」(p7−8)B

 「精神科医や心理学者には、自分のものの見方は絶対に正しくて、患者がそれに適応できないのだと思いこんでいる人が少なくありません。共感しようが、認知を修正しようが、フロイト以来の「治療者だけが真実を知っている」という”上から目線”から抜け出せていないのです。」(P110)C

 「さらに日本では、自分が専門とする治療法だけが正しいと思っている人が多いのが特徴的です。学問や特定の学説が「教義」と化してしまい、結果として患者は置いてきぼり、などということも珍しくないように思われます。」(P111)D

仏教学、禅学、マインドフルネス学も同様

 仏教学、禅学という分野で、全く正反対の学説が発表されていることを承知しています。どちらか、間違いだということになります。間違いの方を教え込まれるひとはあわれです。ふるい学説の中に抑圧されます。
 言葉で書かれたものは、真実ではないという 「勝義諦」の学説がありますし、西田哲学がそれを補強していますから。勝義諦での解釈がわからない学者と、それが真相だという学者がいます。どちらかが、究極の間違いを犯しています。国民が魅力を感じることは難しいでしょう。
 最近のブームになっている「マインドフルネス」の「科学」も、もうゆらいでいます。もう、批判する論文が出ました。お金もうけのために「科学的」と宣伝する傾向が強いのです。その「科学」も、定義があいまいとか、手法が明確ではないとか、臨床試験がされたわけではないとか。

 本書を読んで、医学、仏教学、心理学、マインドフルネスの科学の学説、仮説、手法、見解も、まだ、仮説であり、覆される可能性がありますので、他の学者の説を妄信せず、絶対視せず、自分で確認、研究すべきことを理解しておきたいものです。研究できない人は、妄信して自分が損したり、患者に絶対だとおしつけて苦しめないことが大切です。もし、ある一つの治療法だけをこれしかないと患者に信じこませると治らないで、自殺されるかもしれません。
 本書は、医師、仏教学者、仏教僧、心理学者、マインドフルネスの研究者、および、それらの科学学問を利用する各種の専門家、一般市民にすすめたい本です。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3670
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Posted by MF総研/大田 at 20:53 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL