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「ソラリス」 (16) 組織と個人のエゴイズムの問題 [2017年12月30日(Sat)]
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3658

「ソラリス」=NHK Eテレ、100分de名著 (16) 組織と個人のエゴイズムの問題

 12月25日、NHK Eテレビの「100分de名著」「ソラリス」の4回目の放送がありました。 終わりました。総括として感想を述べます。
『ソラリス』は、大乗仏教のように、現実離れした状況設定で、自己の真実を書いてあるとも読むことができます。 対象論理の思考では絶対に見ることのできない自己の根源、勝義諦を画いた物語にしたてられているとみるものです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3573 ⇒勝義諦

 仏教、禅は、エゴイズムの心理を観察して、私利私欲からの行動を抑制しようと言います。西田哲学では「至誠」で生きようといいます。それに関連することが『ソラリス』でも描写されています。組織でこれが放置されれば、組織は崩壊するでしょう。
 あとで改善のための本を紹介したいのです。

(16)総括1 組織と個人のエゴイズムの問題

 この『ソラリス』は、組織としては、いい状況にはありません。 任務、目的を十分には実現できないような欠陥がみられます。 簡単に二つ、みておきます。

1)組織が十分に働くためには、組織員がうそをつかない、本音をかくさないで同意点をさぐる、私欲を優先させない、組織の目的を忘れないことなどが要求されるでしょう。こうしたステーションの組織の組織員の問題があります。
もう一つが
2)映画制作の組織に重大な問題点がありました。

1)宇宙ステーションの目的と乗り組み員の態度
 原作に書き込まれている、ステーションの組織員の問題があります。

A)組織の任務、目標を忘れない、捨てない

この観測ステーションの目的は、「ソラリスの海の解明」です。100年くらい研究されてきていました
 「クリスが生まれる百年ほど前から、ソラリスの海の謎を解こうとする「ソラリス学」なる学問が発展してきました。その中では様々な説が生まれては消え、結果として、ソラリスの海とは高度な理性を持った巨大な一つの生物なのではないかという仮説が有力になっているのですが、人間がこの「生物」と接触して互いに理解しあうことができないままでした。」(p25)

 ステーションの組織の目的は、「ソラリスの海の解明」ですが、その従業員が、これを忘れる、放棄することが問題です。

 うそをつく、隠す、などのエゴイズムの心理がしばしば、描写されています。【100年は、近代科学としての哲学や仏教学のような研究でしょう。それ以前は、宗教であっても、学問とはいえないでしょう。】

 先にステーションに来ていたスナウトの忠告を聞かずに、クリスは幽体ハリーを愛します。そして惑わされて任務放棄を希望します。別のところでハリーと暮らしたいと切に思います。これでは、海が送り込んだ幽体、海の作用の研究どころではありません。組織の目標とする仕事をしなくなります。
 また、『ソラリス』が映画化された時、映画監督は、「任務は終了した」というふうに書き換えました。地球に戻る筋にしました。これも、任務放棄です。レムは激しく反対したそうです。 次の記事で述べます。組織の任務を放棄する、妨害することは、西田哲学がいう「個人悪」です。組織が全体主義、画一主義、還元主義によって個人を抑圧する社会悪ではなくて、ある個人が組織の目標を妨害する個人悪です。組織の悪、および個人悪は、禅やマインドフルネスの組織でも、幹部や同調者がある対象的立場を押し付けるとか、組織の信用を崩壊させるエゴイズムの行為が起こりえます。部屋の中に出て他の人には必死で隠したいおぞましいもの、幽体が起こるのです。

B)本音を隠す、うそをつく、独断的行為

 また、ここにいる科学者は、うそをいい、何かを隠し、他の人の同意をえずに独断的な行動、他者の排除をします。

 「本当のことを言うか否か、あるいは相手をだますか否か、という問題は、クリスとハリーの間以外でも、この小説の様々なところで焦点化しています。」(p59)

「ここではクリス、スナウト、サルトリウスの三者が三様に、何かの目的のために相手に何かを隠しています。また再三触れているように、スナウトは自分のところに来ているお客さんが何なのかをかたくなに言おうとしません。」(p60)

 ハリー(幽体ですが)は、スナウトに依頼して、自滅(自殺?)します。この重大なことをスナウトはクリスに言いませんでした。(p80)

 ごく一部をあげましたが、この組織の人たちは、隠す、うそをいう、本音を言わない、独断的行為をするなどしています。 これでは、この組織は、本来の任務を果たすことはできないでしょう。

ポーランドでも現在の日本にも全世界でも起きている

 こういうことは、もちろん、現代の企業、その他の組織で起こっているでしょう。非常に多く起きている、組織の不正、研究論文の不正、子供のいじめ自殺の学校や教師、教育委員などの不誠実さ、パワハラ、アカハラ、セクハラなどみなそうです。違和感がある、おかしい、本音を言わない、うそ、隠すなど、日本の組織にも、『ソラリス』のステーションよりも、ひどいエゴイズムが蔓延しているのです。また、会社の理念や顧客のためよりも、私利私欲からの幹部の派閥闘争、それに追従する部下も私利私欲で動くでしょう。 それらの組織は本来の組織の理念、目的をゆがめているのです。そのことによって、それを包む大きな組織、つまり地域、読者、学生、国、社会、世界の発展を阻害しているのです。
    https://blog.canpan.info/jitou/archive/3476 
    ★組織の悪と個人の悪 
     =組織が個人を否定する悪も個人が犯す。そういう個人とは、トップとそれに追従する組織員であり、彼らの組織としての行動として組織員や社会を害する。個人のエゴイズムが組織の目的を害する個人悪。『ソラリス』で描いているのは個人悪。

    https://blog.canpan.info/jitou/archive/2422 
    ★専門家の我執・独断=学者、宗教者、ビジネス、教育、医療、政治。。 

    https://blog.canpan.info/jitou/archive/3605
    ★自己中心的な見方をSIMTでは本音、大乗仏教では煩悩という。ひとは隠そうとする。または、気がつかない。
    感覚レベル、思考レベル、思想専門的知識技術レベル、人格レベルがある。学問に持ち込まれることも多い。

    https://blog.canpan.info/jitou/archive/3098 
    ★専門家の我執独断が現れる仕組みー哲学者板橋勇仁氏

    https://blog.canpan.info/jitou/archive/3226 
    ★西田哲学=科学も自己探求(マインドフルネスや禅のような)も、現実の組織を足場にしなければならない。
    現実の組織は人間の関係する家庭、職場、大学などの研究の場、寺の道場などであり、そして「社会」である。日本、世界。この現実の創造的世界。
    西田博士から「かかる宗教は無用の長物たるに過ぎない」という状況にあるならば、悲しいことだ。内省、自己洞察し、変革の方向へ歩みだすべきでは。
    もし 無用の長物たる宗教的実践ならば、現実世界の「マインドフルネス」の参考にもならないのではないか。生きている現実、すなわち家庭、職場、学問の場で常に動いている内省、自己洞察。
 西田哲学が論理的に説明しているのに、絶対無を否定する人までいるとは驚きます。 鈴木大拙は誤りを犯したという全面否定する人まで現れて驚きます。 鈴木大拙は偉大な禅学者です。西田哲学や鈴木禅学を否定する言葉を聞く学生や市民が自己根底の絶対他者の探求をやめてしまいます。人間の平等を認めないと、それぞれの立場で争います。他を排除します、他の生きがいを奪います。真実をくらまします。被害が大きい場合、自殺させるという命までもうばうことがあります。 西田哲学を真剣に学んでほしいです。わからないからといっても逃げず哲学者に学び、違和感があるといっても逃げず、自分の知性の絶対視にもどらず、生涯、対峙してほしいのです。それが『ソラリス』の作者や西田幾多郎、鈴木大拙などの願いです。
 その自分の理解し否定する知力が生まれる根底(平板な場ではなく、働くものです、『ソラリス』では「液体」と現わしています)なのだから、対象にならないので。自分の生命の作用の根源の働きです。言葉や知性や対象的なるものを生む源の巨大な力です。だから、絶対的一者、絶対者、神とも言われます。『ソラリス』では絶対的他者といっています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3028 
(参照)言語アラヤ識(哲学者・井筒俊彦)(すべての人間の深層にあるがここも対象的意識では見えない。さらにこの奥が絶対無、無分節)

(映画制作の問題は次の記事にします)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3664


沼野充義 「ソラリス」( NHK Eテレ、100分de名著)NHK出版

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3639
「ソラリス」(1)絶対無か
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3640
「ソラリス」(2)自分の知っているものに紐づける 
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3644
「ソラリス」(3)自分の心の奥底にうごめくもの
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3645
(4)自己の内面に強く意識を向けていく、やがておぞましいエゴイズムに気づく
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3646
(5)強固な幽体Fの中でも不死身の見解 (対象論理でいう学説がどの時代にも強力に主張される。日本でも不死身です。特に、実践が嫌い、自分にわからない見性を嫌う=海を憎むという言葉が『ソラリス』では表される) 「見性」は、絶対無を体験すること。『ソラリス』では、海と一つになることとして第4回にでてくる。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3647
(6)不死身のハリーだが再生するが違っているところがある
 =新しい仏教、禅のように見えるが、やはり世俗諦であること。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3648
(7)クリスは幽体ハリーを愛する
 =自己とは何かを探求する宗教者、学者、哲学者は、さまざまなものを遍歴する。ひとつを愛着し、やがてそれを捨てて別のものを愛し、結局、対象論理の範囲内のものをこしらえてそこに落ち着く。しかし、対象にならない自己の根源は愛着できないものなのに。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3650
(8)自分は本当の人間ではない
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3651
(9)「人間とは何か 自己とは何か」
 =「私は私ではない」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3652
(10)海から現れるものは真実ではなく回転運動の過程の一部
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3653
(11)絶対的他者をどう理解するか
  =人間のように対象化して憎むことはできない 
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3654
(12) ハリーの死 
  =クリスの心に、もう言葉での真実にみせかけて迷わす世俗諦が消えた
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3655
(13)海、絶対他者と一つになる 、自己が消える
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3656
(14)「残酷な奇跡」 奇跡とは
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3657
(15) 残酷な奇跡の残酷とは
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3658
(16)組織員のエゴイズム=組織の目的を忘れる、うそを言う、本音を隠す、独断的な行為、 組織と個人のエゴイズムの問題

【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3573 
★絶対に対象的にならない自己の真実

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3202 
★科学はある特定の立場、対象的立場を作る
 すべての立場の根底にあるので、絶対に対象的にならない立場を包む場所がある。これを否定することは対象的にみて否定していて、矛盾である。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572 
★第3世代の認知行動療法
 このなかの「人格的自己」が絶対無=虐待された人、人格を否定された苦悩、パーソナリティ障害、生きる意味を苦悩する人などの支援に
Posted by MF総研/大田 at 16:50 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL