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「ソラリス」 (11) 絶対的他者をどう理解するか [2017年12月24日(Sun)]
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3653

「ソラリス」=NHK Eテレ、100分de名著 (11) 絶対的他者をどう理解するか

 12月18日、NHK Eテレビの「100分de名著」「ソラリス」の3回目の放送がありました。 感想を述べます。 『ソラリス』は、大乗仏教のように、現実離れした状況設定で、自己の真実を書いてあるとも読むことができます。 対象論理の思考では絶対に見ることのできない自己の根源、勝義諦を画いた物語にしたてられているとみるものです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3573 ⇒勝義諦 
【  】に、『ソラリス』は、東洋には多い深い絶対無(大乗仏教、禅、西田哲学などがあった)を基礎にした自己の探求であろうという私の視点からの意味づけを書いておきます。

第3回「人間とは何か 自己とは何か」(4) 絶対的他者をどう理解するか

絶対的他者をどう理解するか

 年末になって、忙しいので、はしょります。第3回の感想はこれで終わりにします。テキストの作者、沼野氏はこうまとめています。

 「このように、自己とは何か、他者とは何か、さらには人間とは何か、という認識が大きく揺さぶられる中、物語には再び、ソラリス学の歴史が登場します。理解しがたい他者をどのように理解するかという試みの、挫折の経験の集積がまたここで開陳されるのです。」(p73)

 「異質な他者に対してどう向き合うか、その問題を考える際、『ソラリス』においては、そこに憎しみがあるかどうかということが一つのテーマになっているように思います。」(p75)

 これは、作者レムの鋭い解釈だと思います。
 【宗教者や学者の中で、勝義諦、悟り、絶対無、「ソラリスの海」を「妄想だ」「そんなものはない」と否定する人は、悟り、絶対無を憎んでいるとみなすことができます。もともと、絶対無は対象とはならないものであって、憎しみの対象にはならないです。それを知らずに、大乗仏教の経典や禅の覚者が勝義諦で表現しているものは「人間を超えたものである」のに、それを対象的に描いて人間扱いにして、対象的に憎み、否定しているのです。】
 【いつの時代も、自己の真実とは何か、という探求をしてきた歴史(ソラリス学の歴史、第3回)と個人がいますが、頭がいいとうぬぼれている(実はうぬぼれているという意識がない、自分は誠実正義だと思っている)人が解釈した幽体があらわれます。不死身です。新しいよそおいで対象論理の哲学思想を作ります。それに魅力を感じて、深い禅のような絶対に対象にならない絶対的他者の探求の乗り物(宇宙ステーション)から降ります。この繰り返しです。宇宙ステーションに乗り続ける人は、ごくごく少数です。真実を知った以上、降りることはできず、かといっても発言して理解してもらうことの難しさを歴史的に知っています(ソラリス学の歴史、第3回)。組織から排除され石をなげられ(法華経の常不軽菩薩のよう)、著書は破却され(エクハルトのよう)、真実を知った人には「残酷な奇跡」(⇒第4回)です。】

 沼野氏はこういっています。禅の、東洋的無の核心をついています。

 「海を人間扱いすると、海が憎くなる。しかし、どうも海はそのように人間扱いして理解できるような存在ではないのではないか。小説が問うているのはまさにそこなのです。」(p75-76)

 【絶対無、無分節は、すべての人の根底にあるのだが、対象的ではなく対象的なものの根底の位置にありそれを生む力なので、愛するとか憎むことはできない。

(第3回の感想は、これで終わりです。次回は、最終回ですね。クリスは絶対他者である「海」を対象的に見ているのではなくて、海に突入します。『ソラリス』は、日本の哲学者が絶対無、絶対的一者、日本的霊性、無分節というもの(絶対に対象にはならない、すべての人の根底)の探求をしているという私の解釈を裏付ける展開になります。「残酷な奇跡」がまっています。


沼野充義 「ソラリス」( NHK Eテレ、100分de名著)NHK出版

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3639
「ソラリス」(1)絶対無か
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3640
「ソラリス」(2)自分の知っているものに紐づける 
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3644
「ソラリス」(3)自分の心の奥底にうごめくもの
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3645
(4)自己の内面に強く意識を向けていく、やがておぞましいエゴイズムに気づく
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3646
(5)強固な幽体Fの中でも不死身の見解 (対象論理でいう学説がどの時代にも強力に主張される。日本でも不死身です。特に、実践が嫌い、自分にわからない見性を嫌う=海を憎むという言葉が『ソラリス』では表される) 「見性」は、絶対無を体験すること。『ソラリス』では、海と一つになることとして第4回にでてくる。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3647
(6)不死身のハリーだが再生するが違っているところがある
 =新しい仏教、禅のように見えるが、やはり世俗諦であること。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3648
(7)クリスは幽体ハリーを愛する
 =自己とは何かを探求する宗教者、学者、哲学者は、さまざまなものを遍歴する。ひとつを愛着し、やがてそれを捨てて別のものを愛し、結局、対象論理の範囲内のものをこしらえてそこに落ち着く。しかし、対象にならない自己の根源は愛着できないものなのに。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3650
(8)自分は本当の人間ではない
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3651
(9)「人間とは何か 自己とは何か」
 =「私は私ではない」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3652
(10)海から現れるものは真実ではなく回転運動の過程の一部
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3653
(11)絶対的他者をどう理解するか
  =人間のように対象化して憎むことはできない

【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3573 
★絶対に対象的にならない自己の真実

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572 
★第3世代の認知行動療法
 このなかの「人格的自己」が絶対無の表現=虐待された人、人格を否定された苦悩、パーソナリティ障害、生きる意味を苦悩する人などの支援に
Posted by MF総研/大田 at 20:25 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL