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家庭職場のマインドフルネスはこれから [2017年12月02日(Sat)]

大乗仏教からの初期仏教批判
(16)四諦八正道では、この世俗の現実社会で働かずに涅槃にはいる
(3)現代の家族の人間関係や組織の力の発揮のための活用はこれから

★日本には深いマインドフルネスがあった

 日本には深いマインドフルネスがありました。5年前の記事です。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2418
<連続記事>日本にあったマインドフルネス
 =鎌倉時代に自覚された
 =絶対的アクセプタンスと絶対的マインドフルネス
 =その後長く日本文化の根底に流れた
 =明治以後現代もなお芸術で表現する人が現れる
精神や物質の奥底に何かを見る日本人

 四諦八正道としてまとめられたものは、釈尊そのものの教えではありません。死後ずいぶん経過してから整理されました。違っている可能性があります(「仏教学」という学的な本を参照してください)。仏教は自己の真実を探求して、釈尊そのもの、初期仏教(部派仏教=小乗仏教=これが詳細な記録を持つ)、大乗仏教、中国仏教、日本仏教へと歴史をもっています。哲学も方法(自己の観察)も変化しました。

 実践、実存(自己とは何か)、それを説明する哲学は違いますが、一致したほうが望ましいのです(⇒実在諭・認識論・実践論 )が、実存については、日本の道元禅は深いとされました。それを西田哲学で説明しました。西田哲学は世界最高の哲学というひとがいます。人間の平等の「人格」を説明できたのです。(⇒ https://blog.canpan.info/jitou/archive/2734 哲学者永井均氏)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
「場所の論理学」は、哲学的論理学として今日世界最高の哲学

 ところが、「実践」のほうは、西田博士によれば(存命中に多かった実践)、これに相応していません。目的のない坐禅や公案禅の方法では、家族の面前や職場で実践できず、個人が世界を創造していくまさにその瞬間にすべての個人が「創造的世界の創造的要素」であるという実践を示していないからです。坐禅は、その瞬間には現実の世界を創造していないのです。西田博士は、家族職場学問病床などすべての場面で観察行為されるべき実践を提案したのです。ひとことでいえば「至誠」です。

 「マインドフルネス」が日本でもブームになったので、日本の深いマインドフルネスが開発されることを期待しています。まだ、感覚や身体動作の観察、集中力に重点がおかれていて、自分の固定観念やエゴイズムのこころを観察するところまですすんでいません。だから、家庭や職場におけるエゴイズム、独断による被害や事件の減少のためにとか、組織の個人におけるエゴイズム、マンネリ、怠慢他責、疲弊などによる縮小崩壊の危機の解決(*)に「マインドフルネス」が有効であるということがいわれません。
(*注)これについては2つの試みをあとで紹介するでしょう。

★現代の家族職場での人間関係での活用はこれから

 マインドフルネスがブームとなったおかげで、ビパッサナー瞑想を行う初期仏教が見直されています。たしかに、ある問題には貢献できるでしょう。だが、それは、家庭職業を持たない条件で生涯修行して、人間世界からも解脱して六道輪廻しないことを目標として人生を終える「涅槃」を目標とした思想と方法です。 それに、ダルマ(法)を実体視している点、社会の現場で自分の煩悩の抑制を真剣にする工夫がない点を大乗仏教から批判されました。西田哲学からもそう言えます。

家庭や職場で、学校で政治の場で、NPO活動の現場で、この今の人生でどう生きていくのかが最重要課題ではない思想、方法になっています。この現実の今の人間世界の人生で貢献していくためには、どうアレンジすればいいのか、これから研究されていくでしょう。

こういうビパッサナー瞑想、四諦八正道であれば、現代の社会で応用するためには、その専門家が独自に開発したものを加えることになるでしょう。釈尊のものや初期仏教のもの、そのままではなく、それを土台にして、その個人の独創を加えて応用開発したものになるでしょう。その場合、大乗仏教や西田哲学が批判したことを克服していることが求められるでしょう。

現代社会は、無数の組織が相互に関係しあって「共生」して世界を創造しています。来世の問題ではなく、この人生で、組織の中で、組織の外に向かって働いていく個人と組織です。

 前の記事の専門家は、涅槃が目標であることをご承知ですし、宗教者ですから、そのままこれを普及させるのは当然です。 しかし、宗教問題の解決ではない領域の、現代の社会的マインドフルネスの研究者が、四諦八正道にマインドフルネスがあるのだから、これからは四諦八正道を社会的マインドフルネスの標準にしようと主張することは、疑問がありそうですね。それは、「目的を持たない坐禅」にも言えます。宗門内部からも西田博士からも批判されました。

 マインドフルネスはまだ「科学とはいいがたい」という批判がありましたので、マインドフルネスとは何か、その哲学や手法の研究はこれからです。 マインドフルネスに篤い期待を寄せる市民はこの人生での家族や職務を生き甲斐とするでしょうし、 輪廻からの解脱を求めないでしょう。目的のないことはできないでしょう。しかし、日本には、千年以上もかけて高度に洗練させてきた大乗仏教や東洋哲学の系譜があり、それを捨てることになることは残念です。しかし、それぞれに信奉者がいますから、否定排除はできません。みな共生していくでしょう。 マインドフルネスの研究は、これから日本人の過去の先人の努力も研究し活かしていくことになるでしょう。
この記事は、次の一部です。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3591
<目次>大乗仏教からの初期仏教批判
 =大乗仏教の哲学は在家にとってすぐれたマインドフルネス
竹村牧男「般若心経を読みとく」角川ソフィア文庫、2017による。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577 
★メディアも経営上から深い仏教やマインドフルネスを伝えることが難しい

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3549 
★第3世代の認知行動療法=多くの流派のマインドフルネス心理療法

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288 
★日本のマインドフルネスの再興を
Posted by MF総研/大田 at 06:54 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL