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(10) 「死」の問題の解決支援 [2017年10月04日(Wed)]

大乗仏教からの初期仏教批判
(10) 「死」の問題の解決支援

 「マインドフルネス」のブームが、宗教についての偏見をもたらしているかもしれません。そう記しました。竹村牧男氏によれば、日本の宗教は力強いものです。 「死」の問題は多くの人に共通です。次のように書きました。

死の恐怖
 欧米のマインドフルネスも、他の瞑想もすべて、何かを観察しています。その観察するものが対象的に観察しているのであり、自分とみなしているので、真の自己をつきとめていないのです。だから、どの瞑想も自分の「死」の問題、観察している自分の消滅=死の恐怖には役に立ちません。そのことを竹村氏は、この著書でどういっておられるでしょうか。みておきます。


 「もう一つ、自分が無くなるということの恐怖・苦しみもあります。むしろこれこそが、死の苦しみの根本だと思われます。現に死ぬことのその苦しみより、いつか死ななければならないことの苦しみ、これが死の苦しみの核心にあるものです。それはまた、自分が今・ここにおいて、すでに絶対の無(否定)にかこまれていることの苦しみでしょう。
 この苦しみは、一般の人々には必ずしも広く意識されていないかもしれませんが、それこそ老・病の境遇にある人には、切実に露(あらわ)となっていることでしょう。」 (竹村牧男「般若心経を読みとく」角川ソフィア文庫、2017年、P169)

 がんと告知された人、透析の人など、死を意識したひとの心のケアが重要であることはいうまでもありません。うまくいかないと、抑うつを併発して、自殺もあり、闘病意欲をなくしてしまいます。
 ブームの「マインドフルネス」が宗教を排除した、対象的感覚レベルを無評価で観察する第3世代の認知行動療法であるならば、 家庭、病院での患者の死の恐怖の支援のマインドフルネスは、宗教性を排除しない、第4,5世代の認知行動療法になるのでしょう。医療現場で必要でないと断言できるでしょうか。
 元来、死の苦悩の支援は、「仏教」の核心でもあったはずです。現代にふさわしい宗教として再考されないのでしょうか。マインドフルネスは「科学的ではない」ものは扱わない、宗教を排除するというブームによって、仏教への偏見が形成されていいのでしょうか。死の問題はどう扱われてきたか、仏教学や哲学によっても解明すべき範囲ですが、仏教学や哲学は「科学」ではないのでしょうか。

(「死」と向き合うマインドフルネスは続きます)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3591
<目次>大乗仏教からの初期仏教批判
 =大乗仏教の哲学は在家にとってすぐれたマインドフルネス
本当の自分とは? 人生はなぜ苦しい?
竹村牧男「般若心経を読みとく」角川ソフィア文庫、2017による。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3549 
★第3世代の認知行動療法=多くの流派のマインドフルネス心理療法

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288 
★日本のマインドフルネスの再興を
Posted by MF総研/大田 at 10:23 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL