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(21)マインドフルネス・ハラスメント [2017年09月18日(Mon)]
第3世代の認知行動療法(21)

対人場面、仕事の現場の感覚思考行動は価値的に評価

 =マインドフルネスを標榜するものの悪用(マインドフルネスハラスメント)も

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(3) 自己の真理の説明、探求に階層性

 の下の目次のところに、次のことを付け加えました。

 「科学は、自己を解明できない。従って、対象的に言葉で説明する心理学も、真の自己を解明できない。言葉のレベルのマインドフルネス心理学とそれを超えた言葉以前の真の自己まで探求するマインドフルネス実践哲学が必要である。
 マインドフルネスは、現代の人が求めている。昔の封建社会、出家者中心の哲学、実践方法ではないものが必要となっている。MBSR,MBCTがブームとなっているのがその証であるが、 MBSRは、”全体性”を極めた、 日本の深いマインドフルネス実践のその入門に当たる。静かな環境で、3つの主な手法で、対象的な知的観察が中心である。このレベル、階層による現代の問題解決に有効である。
 深い階層による問題の解決には、効果がない。欧米でも、リネハンの弁証法的行動療法は、大変に深いマインドフルネスである。パーソナリティ障害に有効である。」

対人関係、仕事の現場には種々の評価が行われる

 MBSRは、3つが主な手法です。ボディスキャン、ヨーガ瞑想、正座瞑想が柱です。歩く瞑想、食べる瞑想もあります。 対人関係の局面ではないので、「感覚を無評価」で観察でいいのです。
 しかし、現実の生きる場には、人がいます。家族、職場、ボランティア団体の人など。 感覚で言葉を受け取り、ただちに、考えて、返事したり、行動したりする必要があります。そこが違います。対人関係において受け取る感覚は、他者の内面の表現です。感覚を通して受け取ったものを「何が表現されているか」瞬時に評価判断して、瞬時に言葉か行為によって応答しなければなりません。
 面前に人がいなくても仕事の内容、芸術作品、学術論文などは無数の評価が含まれています。 芸術、エンターテインメント、スポーツなどの内容も評価されます。

 ところで「評価」には、いくつかの種類があります。それぞれの領域の品質の基準、定義、行動指針、職業倫理など多数の基準がありますので、それに合致しているかどうか評価します。当然です。

 宗教の流派、マインドフルネス心理療法の流派も多数あって、好き嫌い、自分の関心にあうかどうか、理解できるかどうかなどで評価されます。さらに、それぞれの流派の標準、基準、なすべき規範行事があります。これに合致しているかどうかの評価も当然の評価です。
 このような産業特異的な評価は当然ですが、そこに独断、心の闇がうごめくのが問題です。そこを観察するのが、日本的マインドフルネスの特徴です。大乗仏教の「煩悩」の観察に淵源があります。次の項に述べます。

対人関係の瞬間に働く「闇」の心理も観察

 西田哲学によれば、意識作用には階層があります。感覚、思考、行動を含む意志作用です。さらに、行為的直観、創造的直観です。どのように「観察」するか。日本の禅にあった深いマインドフルネス(=観察、気づき)をさらに深めた観察は、西田哲学が提案しています。「独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて行動する」です。産業特異的な評価ではなくて、人間に共通の誠実かどうかの心理による評価です。

 独断のうちでも、社会的な害悪の大きいものは、「心の闇」というものです。自己保身、自分の立場の執着、自分の欲望 を優先して、見て、考えて行動して、結果的に他者、組織、社会を害するものです。深く観察すると浮き彫りになってきます。

 自分の権力、立場を悪用して、弱い位置にある人へのセクハラ、パワハラ、アカハラ、ドクハラなどがその典型です。わかりにくいのが学問にある独断です。自分の都合のよいように文字、文献、データを解釈したり選択して結論とするものです。えこひいき、忖度、いじめにも、独断、心の闇があります。
 そのように、対人関係や仕事のまさに現場で、いつも、自己洞察実践をつづける。すると、あまり他者を苦しめないので、反撃されることはありません。相手が理不尽であれば、こちらが、「独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて行動する」のですから、いつかは、相手がおかしいと判明するでしょう。判明しなくても、「独断を捨てる実践」とは、己を尽くすということであるので、あまり悩まないですみます。悩むことは対象的な思考作用です。それが少ない生活で、価値実現の行動をし続けると、最も根底の対象的でないもの、対象的でない根源を体験するのです。

 浅いレベルのマインドフルネスも、そのレベルの問題解決に有効です。だから、否定はしてはいけません。深いレベルのマインドフルネスも、そのレベルの問題解決に有効です。対象となる人も違うし、実践できる人も違います。 「みんな違ってみんないい」(金子みすゞ)です。一つだけを強制するのは、対象的であり、自由を束縛し、全体主義、画一主義、還元主義(フランクルが言った言葉)となります。心理学にもあるとフランクルが批判しました。今も、組織に見られるでしょう。権力を持つトップ、幹部がわかりやすく還元した理論思想で多数派となり強制することがあります。そのような組織は衰退すると西田哲学は教えるが、幹部(とその取り巻き)は自分一代でも「大将」になろうとするでしょう。それで構成員の自由を束縛するので、外部の世界の変動に柔軟に対応できません。長い間には、組織は衰退し、滅亡するでしょう。

NPO活動の妨害=マインドフルネスハラスメント
 今、営利的ビジネス事業、公的援助では限界があり、多くの非営利活動(法人、任意団体)が社会をささえています。 そこも年期を重ねてサービスを洗練させてきた苦労人がおられます。そこへ、定年を迎えて新しいいきがいをNPOに見出す元地位の高い人がはいってきます。 それはいいのですが、従来得た地位、名声を悪用して多数決を得て、長く活動していた苦労人をおいだし、自分が親分になろうとすることが起きるかもしれません。これは著名人なら簡単にできるでしょう。会則に従い、多数派になれます。 だが、そうしたことが起これば、長く行ってきた質の高いサービス精神は崩壊します。これは新しい形の〇〇ハラスメントです。「マインドフルネスハラスメント」(マイハラ)とよぶことにします。会則にはあっているので、法的には訴えられないかもしれません。だが、健全なNPOの乗っ取り、私物化であり、社会正義が崩壊して、ゆるしがたいことです。救済方法が確立されていません。これも、マインドフルネスの問題なのです。自己のエゴイズムの心理を、観察し抑制すべきです。大乗仏教や禅でそういうことを教えました。

マインドフルネスハラスメント(マイハラ)

 マインドフルネスをいうものが誠実な団体を妨害、崩壊させる ことが起きます。あたらしい「マインドフルネスハラスメント」(マイハラ)です。禅では外部からこういうことはおこらなかったです。ブームのマインドフルネス瞑想が「科学的」であると、精神療法者や心理学者が主張するので、種々の分野の科学者、専門家がマインドフルネスに参加してきて、そのうち、自己のエゴイズムの心理の洞察の浅い者が、従来の地位、権利や名声を悪用して起こる新しい弊害です。
 欧米で指摘されている誇張広告、便乗講座もこれです。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3611 
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4706
 期待して参加した参加者の時間と参加費をむだにします。心が傷つくかもしれません。怒りや失望がトラウマになり、誠実なマインドフルネス心理療法への回避をひきおこし、結果的に救済を妨害するかもしれません。

種々のエゴイズムに泣かされる一般市民

 こういうことを言うと、ある種の人に嫌悪され、怒りをもたらすでしょう。そこも問題です。自分の意見に合わないと嫌悪する、怒る。問題をわかりやすく簡単なものに還元して同意見のもので結束して、深いことを言うものを、いじめ、排除したくなる人がいます。 全体主義、画一主義、還元主義です。争いが絶えません。善良な人を苦しめます。大学でのアカデミック・ハラスメント、職場でのパワーハラスメント、セクシャルハラスメント、マタニティハラスメント、医師によるドクター・ハラスメント、家庭におけるドーメスティックバイオレンス、・・・。

 ( https://blog.canpan.info/jitou/archive/2344 ☆組織における悪)

 他者に苦をもたらすという悪げがなくて行うエゴイズム(*注)をも学習し、観察し気づくという、自己のエゴイズム(*注)を評価判断して、エゴイズム的行動を抑制することに反映しなければなりません。それが、古来、日本人が探求してきた禅にあり、こころの観察、気づき、社会をよりよくする行動だと思います。竹村牧男氏のここ数年のいくつかの著書でわかりやすく明るみにだしてくださったと思います。

(*注)仏教では自己や他者を苦しめる心理を「煩悩」といい、道元は「己見我利我執」といい、西田哲学は「独断」といった。こういう古人の探求を参考にして、マインドフルネスSIMTでは「本音」となづけた。(1)悪の自覚 のない人、(2)過失で犯す人、(3)確信犯的にあえておこなうひとがいる。(3)は悪と知りつつ、自己の利益のために行為する。専門家を自称するひとがそれを犯す。どの人、どの組織を信頼していいか、自分のみぬく力次第である。

マインドフルネスの悪用にふれた記事
★いかがわしいマインドフルネスもある
★アメリカの研究・マインドフルネスが誇張宣伝
 =日本もそれが起きているだろう
★マインドフルネスには危険なこともある
★エゴイズムの観察
★カミュの「ペスト」
 =多数派によるイデオロギー、理念の押し付けで自由を抑圧


★SDGsウオッシュ=一面では「いいことをしているつもりだが・・。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/2970
★マインドフルネス瞑想療法士🄬
 マインドフルネスの悪用をしないという約束をするマインドフルネスによる 支援者の育成。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425 
★大乗仏教者の支援者の倫理

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2607
★金銭欲の強い人は、他者支援をしないほうがいい
【総目次】専門家のエゴイズム、権利の悪用<関連記事>
★<目次>専門家のエゴイズム
★<目次>見て見ぬふりする社会
★<目次>無視・傍観・軽視・放置・見放される病
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577 
★メディアも経営上から深い仏教やマインドフルネスを伝えることが難しい

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2785 ★マインドフルネスの深さと効果ある問題
<目次>第3世代の認知行動療法
Posted by MF総研/大田 at 22:52 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL