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科学では自分を解明できない [2017年08月20日(Sun)]

科学では自分を解明できない

 今朝のNHK Eテレビ こころの時代で 唯識の研究者、横山紘一氏と理論物理学者、大栗博司氏の 対談がありました。 大栗氏の次の言葉が印象的でした。

「科学は自分とはなにかは答えられない。」

「科学は仮説を立て、しかも実験、検証して確かめていく。 対象あってのことと思います。」

 このことは、西田哲学の言うことと符合すると思います。西田哲学は科学では解明できない「自分」を対象とならないのだと説明しています。そして、検証するのは、宗教者の実践によると。対象的にではなく、対象的でない体験によって。(西田幾多郎、鈴木大拙、井筒俊彦、竹村牧男、など)

 坐禅しているのが悟りではありません。坐禅している自分が対象的に意識されるので。

 簡単ではありません。仏教学者でさえも勝義諦を理解できないことがある。だから、簡単なことで、わかるはずがありません。禅の人が、何十年もかけるといいます。ただ、公案を用いる指導法でした。現代人には、現代人にわかるような世俗諦(言葉での説明)と勝義諦を体験できる方法を開発すべきです。人格否定や生命の軽視(犯罪被害者、虐待、パーソナリティ障害、人種差別、宗教による差別、専門家のエゴイズムなど)、死の不安におびえるがん患者、カルト宗教(反社会的、破壊的行動をする)に抑圧される被害などを解決できる可能性があります。

 唯識の研究者でもあり禅匠でもある竹村牧男氏も同様に勝義諦をいっておられます。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3522
 最近、入門書を発行されましたので、ご紹介します。
竹村牧男『般若心経を読みとく』角川ソフィア文庫、920円+税

人格にかかわる苦悩がある

 言葉で説明する宗教観は対象的ですから、対象とならない自分をつきとめていない。 唯識の言葉を理解してさえも、真の自分ではないわけです。

 言葉で説明する宗教観は「世俗諦」といいます。対象とならない自分をつきとめているのを勝義諦という。後者が、真に深い自己を極めるものというのが大乗仏教。 唯識の言葉を理解しているのも世俗諦。真の自分ではない。

 勝義諦をいう人は、世俗諦をも否定しないで包括する。金子みすゞの「みんなちがってみんないいという」態度。しかし、勝義諦を理解できない人は、勝義諦を妄想だと否定する、深いものを認めない、自分の知性、理解力を絶対視して、他の解釈(派)を排他的。

 深いものは浅いものを包含する。最も深い作用は、対象にならない絶対的一者(西田幾多郎)、無分節(井筒俊彦)。 学者、僧侶でも、勝義諦を理解できない人がいる。体験するのがとても困難であるためだ。「学問」でさえも割れている。学問は対象的である。対象的に定義する時に、浅く狭くする学問と深く広く定義する学問的論文が仏教や禅にはある。マインドフルネスもその気配がある。各流派で違っている。
(目次)日本的霊性
 鈴木大拙博士は対象にならない自分を「日本的霊性」といった
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3549 
★第3世代の認知行動療法=多くの流派のマインドフルネス心理療法

Posted by MF総研/大田 at 20:49 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL