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ポイエシス、プラクシス [2017年06月22日(Thu)]
西田H03-ポイエシスとプラクシス.jpg

ポイエシス、プラクシス
=表面では家族社会のために働き、内面は自己を成長させる

 「マインドフルネス」がブームですが、日本には静かな長い信頼をえている「禅」があります。これこそ、日本古来のマインドフルネスです。禅は、自己洞察探求の実践です。自己洞察を論理的にすすめるのが西田哲学です。西田哲学は、禅と同じではありません。どちらか一方しか知らない人が多いのです。西田哲学は思考、言葉での説明で、禅は生活実践。西田哲学は、宗教、国、性別を越えて、 人間というものの根源を説明したものです。自己とは何か、世界とは何か。
 マインドフルネス SIMT(自己洞察瞑想療法)は、西田哲学の生活実践化で す。 西田哲学のように論理的に説明しながら、禅のような生活実践をしようとするのです。 禅は、宗教的ですが宗教者でなくても活用されています。マインドフルネスSIMTは、宗教以前と宗教的と二段階です。自分の好きな範囲を用いればいいのです。
 西田哲学が、「ポイエシス即プラクシス」を教えてくれます。家族や社会に向かって価値実現の行動(世界創造、ポイエシス、制作、ものサービスを作る)をしていますが、内面では自分の 成長の機会(自己形成、プラクシス、世界を作る自己を作る、自己成長)となっています。 外面の社会的行動を「ポイエシス」(世界創造)といいます。内面の自己成 長実践を「プラクシス」(自己形成)といいます。瞬間瞬間、二つが同時進行です。

  「プラクシスというのは我々の自己が形成されると共に、自己自身を形成 することである。」(西田幾多郎「実践哲学序論」『西田幾多郎全集』第 10 巻、106 頁)
 「我々の自己が歴史的世界において物を形成して行くことが、ポイエシス ということでなければならない。」(「ポイエシスとプラクシス」10 巻 150 頁)

 家族や団体(大きい小さい)において、この両面が進行して、みな満足を 得られる状態を作るように常に現在進行形で観察し心がけます。 人と会話する時の発言、他の人が発言するのを聞く態度、何かをするため の行動などが表面の社会創造(ポイエシス)の流れです。 その時に、同時に現在進行形で自分の内面の心理、本音を観察していて、 自分も周囲の人も傷つけないような気くばりをしています。自分だけの満足 にならないように気をつけます。己(おのれ)を尽くすといいます。 自分勝手な独断的な発言、行動をしないように、自分の心を成長させます。

 己を空しくして、哲学者、西田幾多郎博士の言葉です。
 「否定すべきは、抽象的に考えられた自己の独断、断ずべきは対象的に考 えられた自己への執着であるのである。」 (『場所的論理と宗教的世界観』旧全集 11 巻 424 頁)

   「何処までも 己( おのれ) を空( むな) しうして、世界の自己限定の事実として働くことで ある。それは一々の場合において自己を世界において見ることでなければな らない。」(『実践哲学序論』旧全集 10 巻 102 頁)

マインドフルネスを説く人(マインドフルネスの専門家らしく見える人)が  己のエゴイズムの心を観察しない

 「私も「マインドフルネス」だ」と説明しているマインドフルネスの専門家らしく見える人が、自分の金銭的利益、組織での自分の地位を得ようとして 他者を排斥したり、攻撃したり、抑圧したりするのは、日本のマインドフルネス、西田哲学からいえば、おかしいことです。良いものであるのに理解しようとせずに、己れの立場を守ろうとして、良きものの普及を妨害しようとする自己保身も、仏教が批判したエゴイズムの心理です。 組織にも、家庭にも、マインドフルネスでないところがあるはずです。 道元禅師が「己見我利我執」を捨てよといった 日本のマインドフルネスを見直していただきたいものです。
★<目次>日本的霊性はだめか
Posted by MF総研/大田 at 06:39 | 深いマインドフルネス | この記事のURL