CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«自己を超えた根源において自己が成立 | Main | 木村拓哉さん、深い哲学を語る »
創造的世界の創造的要素、作られたものから作るものへ [2017年04月20日(Thu)]

創造的世界の創造的要素、作られたものから作るものへ

 人は世界の中に生きている。世界なくして生きることはできない。その世界は自分だけで作っているのではない。どんなに自分が偉大だとうぬぼれる人でも、自力だけで生きているのではない。西田幾多郎はこういう。

 「かかる世界の個物的多として、我々の自己の一々が、自己自身の世界を限定する唯一的個として、絶対的一者を表現するとともに、逆に絶対的一者の自己表現として、一者の自己射影点となる。創造的世界の創造的要素として、創造的世界を形成していくのである。」(『場所的論理と宗教的世界観』旧全集11巻403頁)

 ここでいう世界は実は絶対者なのであるから、深い意味がある(仏教学者にも理解されにくいところ)が、意志的自己、叡智的自己で見れば、竹村牧男氏の説明がわかりやすい(だから真理には階層がある。深い真理を読み取れないことがある)。こうなる。

 「現実世界というのは主体と主体とが相互に働き合う世界、お互いに働き合いながらこの世界を形作っていく世界、そういう創造的な世界、それが歴史の世界でもあるわけです。」 (竹村牧男(2012)『宗教の核心―西田幾多郎と鈴木大拙に学ぶ』春秋社、p136)

 今ここで、個人と個人が相互に働き合いながら世界を動かしていく。世界の一角を自分が創造してゆく。個人の働き以外に世界はない。その個人の働きは自分だkでのものではない、根底の世界(絶対者)のものである。

行為的直観

 意志的自己はすることが決まっていない。その都度、目的をみつけて行動する。しかし、それでも、世界を与えられるから、何をしようかと目的を思いうかべて、行動する。たいていの人間は、叡智的自己である。何をするか価値(家事、職務)が決まっている。行為に熟練している。その価値実現行為で世界を創造していく。いつも世界から与えられたものを見ることによって行為する。自己は世界の中に入り、働く。自己の目前の世界は無数の人が過去から働いた結果である。このことからも、自己は自力だけで世界を作る行動ができるのではない。作られたものが自己に迫り、自己は自己の自由意志で世界を創造する。

  「私はそこに行為的直観的に物を見、見ることから働くというのである。直観というのは、作用がなくなるということではない。自己が矛盾的自己同一的な世界の個物的多として世界の中に入ることである、自己矛盾的に物となって、働くことである。それは絶対の過去が現在であるということである、そこでは 絶対に過去的なるものが現在的に我に迫って来るのである、作られたものから作るものへである。我々の自己の作用というものは、そこから始まるのである。絶対現在の自己限定として、そこに人間の行為というものが始まるのである(人間の行為はイデーを見ることから始まる)」(『実践哲学序論』旧全集10巻31頁)

 この「世界」というのは、自己を超えるものを信じないものには、対象的な世界である。しかし、西田博士は、「世界」は絶対者だという。それは対象的な絶対者ではない。自己の内奥にあり、絶対に対象とならない。単独で存在する基体ではない。個人にしか現れない働きである。
★<目次>日本的霊性はだめか
Posted by MF総研/大田 at 20:47 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL