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自己を超えた根源において自己が成立 [2017年04月19日(Wed)]

自己を超えた根源において自己が成立

 前の西田幾多郎の言葉を引用して、竹村牧男氏はこういう。

 「道元の句を手がかりに、自己を対象的に捉える立場を透脱して、自己を超える根源においてしかも絶対主体としての自己として成立していることに徹することが悟りなのであり、ここにおいては、禅も真宗も同じだとしています。」(竹村牧男,p162)

 前の西田幾多郎の言葉にあったように、大乗仏教も同じです。ただの思想ではなく人間の事実です。鈴木大拙が日本的霊性といったものです。これを自覚した人を西田は人格的自己といいます。
 多くの人は、この自覚がないので、叡智的自己です。根源を認めないので、自分自身を執着します。無我と言いながらも、執着します。自分で思想を構成できると自己を自慢します。 それは対象的です。自己も対象的に意識し、宗教観も対象的に見ます。それで、自力です。 西田や鈴木によれば、深い宗教ではないのです。人間の事実ではなく、その個人の思考の産物です。
 ただし、意志的自己、叡智的自己は、人格的自己に包含されるので、浅い自己を否定しません。 このような浅い自己に徹することでも、このレベルの苦悩が解決できるからです。うつ病、不安症/不安障害などは、浅い意志的自己レベルのトレーニングで改善することが多いからです。

 逆に、人格的自己でない人は、なぜ、悟りや自己を超えたものを否定するのでしょうか。もう、西洋の人もこれをいう人がいます。
 深い自己を教えられない不幸があります。対象的なものでは解決できない問題をかかえた人がいるでしょう。
 意志的自己のマインドフルネスSIMTで、うつ病が治る人もおられるのに、知らされない不幸があります。自殺せずにすむかもしれないのですから、重大な問題です。

 もう一度、作家、三浦朱門氏の20年前の言葉を紹介します。

 「自分の考えと矛盾する学説、自分の信条を根底からくつがえすような事実に接して、謙虚にそれを批判的に眺め、検討し、そして矛盾を解決しようとする態度が、知識人の基本的態度であろう。テキストと矛盾する現象を認めないようでは、学者とはいえないし、その種の学者を集める大学は、やがて生気を失ってゆくであろう。」
ここに述べた

  大学がだめならば、大学の外の研究機関があります。苦悩する国民が救済されるのが遅れているのですが、自分の学説、信条をくつがえすような事実に接した時に、自己に執着しやすい。すなわち、自力であり、自己の小さいことを認めようとしない。我への執着です。無我でない。エゴイズムの心理を大乗仏教は煩悩として教えてくれていましたが、SIMTでは「本音」と呼んで、観察することにしました。

 日本のマインドフルネス(禅、西田哲学)には、宗教ではない範囲と宗教レベルが明確になっているので、これを活用すべきです。宗教レベルでないと救われない人々もいます。ターミナルケア、がん患者の死の不安、人格を否定された人の苦悩など。マインドフルネスは宗教ではないというのは、一部であり、そういうことをいうのは社会が必要とする研究を抑圧して問題です。

文献
竹村牧男(2012)『宗教の核心―西田幾多郎と鈴木大拙に学ぶ』春秋社,162ページ。


★<目次>日本的霊性はだめか
Posted by MF総研/大田 at 20:21 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL