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西田哲学と鈴木禅学は互いに補完 [2017年04月09日(Sun)]
★発表大会=5月20日

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西田哲学と鈴木禅学は互いに補完

 日本的霊性を明らかにした鈴木大拙と深い宗教的実存、最も深い自己なき自己を哲学的に表現した西田幾多郎とは、互いに補完しあっている。

 禅学者、秋月龍aは二人を一人格とみてよいという。

 「「西田幾多郎と鈴木大拙とを一人格にして見てよい」と思う。」

 「事実、鈴木がものを書くときは常に西田の哲学論が頭にあったし、西田はまた彼の哲学の根底にあるその宗教論において、深く鈴木に負うていた。・・・・ 「日本的霊性」自体の、主体的自己限定としての、大乗仏教とくに禅の、世界のものなる哲学的形成ということを考えるとき、二人を一人格にして見るほうが分かりやすいとおもわれる。」(秋月龍a,205p)

 西田哲学が記述したものが、歴史的に実際、大乗仏教、中国蝉、道元禅師、大東国師、親鸞聖人、妙好人などにみられたのを発掘し紹介したのは、鈴木大拙である。鈴木大拙が発掘した人々に、共通して、自己の根底に意識的な精神を内に超えたものがあることを場所的論理、逆対応の論理で説明したのが、西田幾多郎である。

 だから、鈴木大拙の「日本的霊性」を否定するものは、西田哲学を否定しなければならない。感情的にでなく学問的に批判しなければならない。

 日本には、禅が盛んな時代が昭和まであった。今は、冬の時代である。すべての人間の絶対的平等をいう禅の深いところは、現代の問題の解決になりそうなものがありそうである。 苦しい時代に、先人が発見してくれた人間の事実を大切にしたい。 各人が世界観をもちだせば、争う。みな、自分の見解である。浅い世界観には縛られない若い人たちがもう一度、すべての人間の絶対的平等をいう日本のマインドフルネス(禅、念仏などに見られた)を再発掘してほしい。

 西田哲学、鈴木禅学から得られる智慧の実践化、生活化することは宗教以前の現代人の問題解決にヒントを与えてくれる。だから、この研究、応用が急務である。また、西田哲学、鈴木禅学は宗教レベルまで含むが、このレベルでないと解決が難しい問題が現代にもある。この生活実践化の研究開発も二人から託された重大な責務である。

文献
秋月龍a(1996)『絶対無と場所』青土社
★<目次>日本的霊性はだめか
Posted by MF総研/大田 at 18:21 | 深いマインドフルネス | この記事のURL