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日本人は仏教を深めたが「梵我一如」ではない [2017年04月07日(Fri)]

日本人は仏教を深めたが「梵我一如」ではない

 親鸞聖人や道元禅師に見られた深い自己のありさまを、鈴木大拙は「日本的霊性」と呼びました。 それは対象的な絶対者と対象的自己とが一つであるというのではありません。仏教学者でも誤解して、深い問題の解決を遠ざけます。西田幾多郎博士もそう批判しています。
 竹村牧男氏(東洋大学学長)は、次のように指摘されます。


 「個人と絶対無を、対象的に結合するのではなく、個人が個人に徹底すればするほど絶対者に接する、すなわち絶対無の自己限定として個が成立する。「般若即非の世界から人間世界というものが出て来る」のである。それは、梵我一如の思想の対極にある思想である。」(竹村牧男、2002,p153)

 この深い対象的にはつかめない、意識的自己を内奥に超えたものを自覚したひとは、日本人に多い。親鸞、道元、大燈国師、世阿弥、千利休、松尾芭蕉、盤珪、良寛、白隠、河井寛次郎、東山魁夷、西谷啓二、・・・。そして、名もない妙好人。鈴木大拙は「日本的霊性」といいました。梵我一如とは反対であるといいます。欧米の人も大変深い自己を活かすようになりました。
 このような深い自己の事実を哲学的に記述したのが、西田哲学である。

 西田哲学は、自己の階層を場所的論理で説明しています。意志的自己の実践は、うつ病など改善し、すべての人が実践すれば、人間関係が改善します。(このことは、『マインドフルネス精神療法』第3号で特集します。)
 叡智的自己の実践はそれをすれば、専門家のエゴイズムを予防できるでしょう。人格的自己は日本的霊性のレベルでしょう。リネハンの弁証法的行動療法は、このレベルのようです。
 だから日本でも、日本的霊性レベル、絶対無レベルのマインドフルネスは、 自己自身に関連する苦悩の解決に貢献できるでしょう。自己評価が低い人、たとえば、虐待された人、パーソナリティー障害の人、犯罪の被害者、自己を責める苦悩などです。また、死の問題で悩む人です。がん患者さんのような、死の不安をかかえる人やターミナルケアです。

文献
竹村牧男(2002)『西田幾多郎と仏教』大東出版社。
★<目次>日本的霊性はだめか
Posted by MF総研/大田 at 19:16 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL