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西洋、アメリカにも、最も深い自己の哲学(2) [2017年03月06日(Mon)]

西洋、アメリカにも、最も深い自己の哲学(2)

=自己存在とは何かまで観察している欧米のマインドフルネス

 このように、欧米の「マインドフルネス」も、浅いものから深いものまであります。 ジョン・カバット・ジン氏のMBSRは、ご自身が浅いといっておられます。 8週間で習得できるようです。
 アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)は、自己についても観察させます。文脈としての自己です。クライエントへの支援期間は長くない。しかし、支援者になるのは、大変なようです。独特の哲学が背景にあるので。
 日本のマインドフルネス、自己洞察瞑想療法(SIMT)は、意志作用や意志的自己を観察する。習得期間、 支援期間は、1年前後(意志的自己SIMTの場合)。人格的自己のSIMTで、古来日本人が実践してきた宗教的な深い自己についての探求がされる(道元禅師、良寛さま、白隠禅師などにもある)。

「宗教」をマインドフルネスから除外しないで

 ただし、「宗教」が悪いといってはならないでしょう。BDTは、宗教レベルです。西田哲学や井筒俊彦によれば、絶対無、無分節はすべての人間の根源の真相なのですから。マインドフルネスは宗教を除外するといえば、BDTを悪いものということになりませんか。「宗教」とは何かの「定義」を厳密にせずに、マインドフルネスは宗教を排除すると言っていないのでしょうか。(西田哲学によれば、「科学」は、ある対象論理的な立場に立つもの。BDTは、対象論理的な立場に立たない自己の真相を探求させているように見えます。すると、BDTは「科学的」でないのでしょうか。)
 がん患者の死の不安の支援には、宗教レベルのマインドフルネスが用いられるでしょう。BDTとにているでしょう。「がん哲学外来」も宗教的に見えます。人の苦悩は深く宗教的真実で救済されるものがあるでしょう。
 リネハン氏の弁証法的行動療法(DBT)は、深い自己存在まで探求しています。 対象的に観察されるものではないようです。しかし、これを探求させます。支援者とクライエントが、毎年契約して更新してカウンセリングを続けて、何年かかけて、境界性パーソナリティー障害の改善にとりくむのです。日本の「人格的自己のSIMT」に匹敵するように見えます。
 独断(いじめ、差別、偏見、人格無視もそうです)エゴイズムが社会に多いのですが、これは、仏教という宗教で「煩悩」といって探求されてきました。認知療法でいう固定観念に似ています。こういう宗教で実践されてきたものも「悪い」「偏っている」というので、排除するのでしょうか。科学的に見える学術論文も、ある「立場」に立つ「偏見」をもって、膨大な経典、語録の中から、都合のよい文章を「選択的抽出の手法で書くことができるでしょう。

独断、本音の観察が上手な人、うまくない人

 マインドフルネスでも「立場」の違いがあります。何が「科学」なのでしょうか。「マインドフルネス」でも、解決支援できる問題が違ってきます。 日本的なマインドフルネスとして、自己洞察瞑想療法(SIMT)の支援者になるための講座を行っていますが、10か月も実践してもらうのですが、力量にかなり差異が生じます。差異をせばめるために工夫が必要です。一方、SIMTを習得したいと思っても、苦手な人、向かない人がおられるようです。特別のトレーニングを付加すれば、観察スキルが向上できるのか、大きな課題を感じています。今期で、理論的なこと(哲学のような)は、カリキュラム編成が一段落しました。 今期から、西田博士が「独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて働く(行為する)」という実践論のかなめである「独断」の観察方法の習得訓練に力を入れなければならないと感じています。日本的「マインドフルネス」は、集中力の向上ではありません。自己の「独断」、自己のエゴイズムの観察です。資格をとれば、カウンセリングして収入が得られるなんていうのは独断、エゴイズムです。自殺を考えているクライエントもいるのですから、とんでもないエゴイズムの本音、独断です。
 「マインドフルネス」は課題がたくさんありそうです。西田博士は「「至誠」といい「独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて働く(行為する)」といいます。これが日本的マインドフルネスの一つの「定義」らしいものになるのでしょう。講座のあと、マインドフルネス精神療法 研究会で「独断」「本音」の探求を続けています。
 日本的マインドフルネス、広めていくのに課題が多いです。真剣な人の参加を期待したいものです。

自己の独断が本質的と西田博士

 学問にも自己の独断が働くものがあります。「学問」の名において、人を枠内に閉じ込めるおそれがあります。 V・E・フランクルの全体主義、画一主義、還元主義の批判もこれをさしていると思います。全体性から、ごく一部を切り取る。
 ジャーナリズムにもあると、哲学者が教えてくれました(朝日新聞、3月3日)。政権寄りのジャーナリズム、批判的なジャーナリスト。どちらも「事実」。
★<目次>日本的霊性はだめか
Posted by MF総研/大田 at 06:10 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL