• もっと見る
«(111)宗教的問題の支援は聖職者、意味の発見の支援は医師 | Main | (113)がん哲学外来は心理の専門家でない人も支援できる»
(112)価値と意味は違う [2016年08月05日(Fri)]

(112)価値と意味は違う

 =「がん哲学外来」に寄せて(7)


 フランクルによれば、価値と意味は違います。 これは「マインドフルネス」でも留意すべきことです。 長期的に選択した生きがいのようなものを「価値」と見ればいいと思います。 そして、がんになって新しい「価値」を見つけたとしても、 一瞬一瞬、どう行動するか違います。
 がん患者だけではありません。 価値をみつけて生活しているつもりなのに、ある日、ある時、一瞬一瞬、どうするのか意味を問われます。

 「価値とは普遍的意味のことですが、反対に意味は常にユニークです。各人は達成するべきそれぞれユニークな意味を持っており、しかもその意味は一瞬一瞬に変化していくのです。なぜならそれは各人の生の状況がその時々にユニークな特別の意味を持っているからです。このことが私の責任を構成するのであり、ここから私の生のユニークな意味を遂行する責任が出てくるのです。」(『意味喪失の時代における教育の使命』広岡義之訳、 『現代思想4月臨時増刊号 imago 』vol.41-4、2013、青土社 (総特集 ヴィクトール・E・フランクル,p43)

 「意味は、そのつど一回的・唯一的なものであり、そのつど初めて発見されるべきものであるからです。これに対して、価値は、一回的・唯一的な状況ではなく、繰返される類型的な状況に内在するような、つまり人間の状件を際立たせるような普遍的意味なの です。」(『意味への意志』p25)

 よき家庭、めぐまれた職という価値を持ちながら、 一瞬一瞬、意味を問われます。ミスを犯したり、他者を傷つけたり、犯罪を犯したりします。常に新しい意味を問われています。
 がんであるとわかってから、新しい「価値」を見つける、それも、一瞬一瞬、そのつど、意味を問われます。発見した「価値」のために、生活のすべての瞬間に、その「価値」に専心できるわけではありません。「他者のために」と思って臨む会合で、ある一瞬、他者を傷つけるかもしれません。会合が終わって一人になった時や、夜に、その一瞬一瞬に、死の恐怖におそわれて長く泣くかもしれません。

すべての人の価値と意味

 がんのことだけではありません。すべての人のことです。自動虐待の対応 が10万件越したといいます。外見では家庭と立派な職を持つひとが、家族に暴力をふるい、虐待をしているかもしれません。
 医師、宗教者、会社経営者という立派な職を持つ=価値を持つ人が、一瞬一瞬、責任を問われています。よく、自己中心的なこと、組織中心的なこと、職種特有のエゴイズム的な判断をします。

「がん哲学外来」に寄せて ⇒目次

【目次】日本のマインドフルネスの再興を
Posted by MF総研/大田 at 18:50 | がん・ターミナルケア | この記事のURL