(61)臨床マインドフルネス哲学 [2016年05月26日(Thu)]
(61)臨床マインドフルネス哲学
=臨床マインドフルネス精神医学?
「臨床心理学」という「科学」は、「傾聴に徹する」という方針が強く、積極的に、自己の意識現象の観かた行動のしかた、自己存在の哲学を変化させるアドバイスする手法とは相性が悪いようです。積極的アドバイスを多用する第三世代の認知行動療法の「科学」は、何という学問で研究していくのか。人間の心理は深いところから生じるので、深く探求するのが哲学である、西田哲学である。ACTには、別の哲学がある。
哲学を背景にあつかう深い意識現象は、「心理学的」エビデンスをとりにくい。たとえば、「がん哲学外来」が、効果をあげているが、哲学的な生き方をアドバイスしている。ここは、死の受容のような指標のエビデンスをとるのだろうか。深い哲学のあるマインドフルネスは、社会貢献の程度が大きいのでどこかの「科学」にならないだろうか。
がん患者さんの心のケアのような深い哲学が関係する領域は、臨床心理学も精神医学(時間のかかるマインドフルネスは医師には扱いにくい)も扱わないのならば、すきまを埋める新しい科学分野が必要となる。その領域を推進する専門家の育成が必要である。その育成が始まっている。医学も臨床心理学も扱わない、深い自己の哲学をもって社会問題の解決をアドバイスする「臨床マインドフルネス哲学」ともいうべき、科学にまで洗練されたもの。哲学のない技術ではない、哲学のない瞑想ではない。瞑想のない哲学ではない。脳神経科学とも違背しない。臨床のない思想研究でもない。哲学(心理学ではない)と瞑想(マインドフルネス)と脳神経科学との関連も参照しながら理論と方法を研究し、現実の社会問題解決方法を研究していく科学学問。
私たちの自己洞察瞑想療法(SIMT)、マインドフルネス精神療法はそこまで扱いたい。これはどういう「科学」領域なのだろう。哲学のない「マインドフルネス」はそこまでは扱わないから、マインドフルネス学ともいえない。哲学がなければ「技術」なのだろう。西田幾多郎博士は技術と科学は違うという。科学としてのマインドフルネスはどういうものか、検討が必要である。「臨床心理学」は扱わないから「臨床マインドフルネス哲学」か。深い実存の哲学のないマインドフルネスは、心理学的なエビデンスをとって、臨床心理学の中で扱われていくのだろうか。仏教の哲学が変遷したように、マインドフルネスも多様なものがある。MBCT,MBSR、ACT,弁証法的行動療法、SIMTなどみな違う。
【目次】日本のマインドフルネスの再興を
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Posted by
MF総研/大田
at 07:29
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新しい心理療法
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