(50)実在諭・認識論・実践論 [2016年05月09日(Mon)]
(50)実在諭・認識論・実践論西田哲学によれば、実在論から認識論、実践論へである。「行為は何処までも個人的自己の行為でなければならない。当為というも、行為的直観的に個人的自己というものが成立してからのことでなければならない。」『実践哲学序論』(旧全集10巻72頁) 「認識論の前に実在論がなければならない。」(「自覚について」)(10巻551頁) 今みられるすべてのマインドフルネスは、知的自己レベルか意志的自己レベルの浅い対象論理的マインドフルネスである。自己と世界を分けたみかたである。 次は、深い自己であり、そのマインドフルネスは最も深いものとなる。 「かかる世界は、必然の自由、自由の必然の世界である。我々の自己に対する当為ということは、かかる世界に於てのみいい得るのである。かかる世界は、主観的世界ではない。私が「物理の世界」に於て論じた如く、物理的世界と考えられるものが、既に絶対矛盾的自己同一的たる歴史的世界の一面として考えられねばならないのである。」 (『場所的論理と宗教的世界観』旧全集11巻379頁) マインドフルネスは、認識論と実践論だけで説明されているものが多い。その自己レベルを容易に推測できる。ACTは例外で、文脈としての自己の立場と明言している。 自己のレベルがあって、その自己の立場で、観る、考える、実践(行動)する。マインドフルネスには、観るマインドフルネス、考えるマインドフルネス、行為するマインドフルネスがある。自己洞察瞑想療法(SIMT)は、行為するマインドフルネスといえる。観る、考えるを含む行為である。 自己の段階に判断的自己、知的自己、意志的自己、叡智的自己、人格的自己がある。浅い自己は、浅い見方、浅い実践しかできない。だから、マインドフルネスが、どのレベルの自己であるかが重要な決めてになる。 認知行動療法でも議論されているだろう。認知の問題か、行動の問題か。認知と行動の問題か。 マインドフルネスも感覚レベル、認知レベル、行動レベル(意志作用的行動)、さらにもっと深いものがある。行為的直観、自覚的直観である。(以上は、西田哲学による) 従って、支援したい問題がどのレベルであるのか見極めて、相応のマインドフルネスを用いないと改善が明確に予測できないだろう。たまたま浅いもので改善した場合、そのクライエントが独自に深いものをとったことによるかもしれない。これから研究で明らかにしていかねばならないことである。 補うために、何か従来の心理療法的手法との結合の方法がある。 MBSRプラス認知療法、MBSRプラスXX療法、MBSRプラス(私の技術、武道、芸術)という方法がある。この方法があちこちで行われているようにみえる。MBSRは感覚・身体動作であるから適用しやすい。これがマインドフルネスのブームであろう。 もう一つは、深いマインドフルネスを用いる方向がある。意志作用的マインドフルネスは、感覚、思考、行為までカバーするマインドフルネスとなる。 【目次】日本のマインドフルネスの再興を |
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