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(34)後期西田哲学の実践論 [2016年04月02日(Sat)]
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(34) 後期西田哲学の実践論

 日本的マインドフルネスのバイブルのようなものが、西田哲学です。禅をも包含しています。その実践とは、つまり、マインドフルネス実践とはどういうものであるというのか。
 一応、整理して、表題の論文をまとめました。 次が要約です。
     「世界中に「マインドフルネス」という禅に似た実践を応用した瞑想的な心理療法が世界中にブームになっているという。そうであれば、禅や西田哲学のある日本の我々はどういう実践をすればいいのか。西田が晩年になって考えた最終的立場による実践とはいかなるものであったのか解明したい。西田哲学の最終的立場は、先行研究からみれば、創造的自己による創造的直観である。その立場から実践論を考察した。 後期西田哲学の実践論は、従来の禅と同じではない。その実践は、まさに社会的生産行動がそのまま同時に創造的自己に至る自己形成であるような実践である。絶対無の体験に基づく創造的自己の自覚の前も後も、社会生産行動の現場で、己を尽くす至誠の実践である。自己は絶対的一者の自己射影点として、社会生活の現場で対象論理的主観的独断を捨てて見て、考え、行動していくことである。」
 6月下旬に論文集が発行されました。(抜き刷りを販売しています。送料ともで504円。84 円切手を6枚郵送ください。)

この西田哲学からみれば、現在ブームの「マインドフルネス」は、すべての人に必要である心の使い方の一部分のトレーニングになっているということがわかります。しかし、その一部分でも、さまざまな領域で効果がみられるので、広く大きな解決法です。ただ、西田博士がいうように、その程度のマインドフルネスを基体化、絶対視せず、そこに留まらず、そこではカバーできない問題の解決法の探求も必要です。

 他のマインドフルネスでは治らないうつ病やパニック症、PTSDなどが日本的マインドフルネスの自己洞察瞑想療法(SIMT)で治るのはなぜなのだろうか、これも研究していく課題ですが、意識現象の広さと深さが違うせいではないかと推測しています。あるいは、他のマインドフルネスでも、6か月1年継続する動機づけさえできれば、治るのかもしれません。しかし、その時には、マインドフルネスが教えることを越えて、やはり、見る局面の無評価のマインドフルネスのこと以外の局面でも解決法を本人が試行錯誤で身につけていくのかもしれません。認知療法では、それが指摘されました。

 「マインドフルネス」は、学問としては、はじまったばかりです。西田哲学、それは禅、浄土真宗、キリスト教も論理的に説明していて、成熟した学問になっています。これを実践化する方向で活用したいものです。

 私たちは、これから、これ(後期西田哲学の実践論、さらに研究が必要です)を基礎にして、日本的マインドフルネスのなかでも、叡智的自己のマインドフルネス、人格的自己のマインドフルネスを研究開発していかねばなりません。このレベルでないと解決しない心理社会的問題があります。日本には心理的、哲学的なこと(自己存在、生死、人生)が関係する社会問題が続発しています。西田博士によれば、日本の禅も自己実在論としては最深ですが、実践法が職を持たない出家向け中心でした。禅のように深い実在論をもつが、心理学的哲学的に説明しながら実践するマインドフルネス的方法が解決になるかどうか。わかりませんが、研究してみる価値はあります。
 ここでも、深い方法のマインドフルネスといっています。そうです。「マインドフルネス」の定義が違うのです。古い時代の仏教の枠にとどまらないのです。西田博士は「物となって見、物となって考え、物となって働く」といっています。見るだけでなく、考える、働くまであります。これですべてをカバーしています。「無評価で」ということはしっくりしないのが、考える局面、働く局面です。この局面に「マインドフルネス」がないのか、あるのか、あるとしたら「無評価」観察ではなそうで、一体何か、このことを機関誌『マインドフルネス精神療法』第2号の連載記事のテーマにします。
【目次】日本のマインドフルネスの再興を
Posted by MF総研/大田 at 22:10 | 新しい心理療法 | この記事のURL