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(18)ポイエシスとは [2016年02月24日(Wed)]

(18)ポイエシスとは

 すべて我々の自己は世界の中に生きているので、世界のために働かねばならない。 それがポイエシスである。一言でいえば「世界の創造」である。簡単にいうと「創造」である。(そうであるが、ポイエシスの意味内容は、意志的自己、叡智的自己、人格的自己の深さによって違ってくる。意識的作用で見ることのできる意志作用を越えた直観でみる場合、見える内容もポイエシスの内容も違う。)
     「我々の自己が歴史的世界において物を形成して行くことが、ポイエシスということでなければならない。」(「ポイエシスとプラクシス」(旧全集10巻150頁)
 ポイエシスは、自己が物となって働くことである。世界のために働くという「働く」側面をいくのが、ポイエシスである。世界創造である。その内面で現在進行形で自己形成が進行する。だが、体系的なプラクシスをする人は少ない。 表面の物を作る、社会的技術を遂行していくだけが多い。
     「物となって見、物となって考え、物となって働く」
 これは深いポイエシスである。その内面で、物となるということは己がないというプラクシスである。世界の創造と我執のない自己形成の同時進行である。

 次で「プラクシス」のほうをみる。西田博士はどういっているか。

 マインドフルネス精神療法(心理療法)としての自己洞察瞑想療法(SIMT)は、こうして、社会的行動をしつつ、現在進行形で、内面の自己を形成していく手法として開発していこうとしている。今、意識で把握できる意志作用のマインドフルネス心理療法(SIMT)は一応、ひとつの形ができた。
 この先には、意志作用を越えた人間の働き, 行為的直観、自覚的直観に関わるマインドフルネスがある。専門家がエゴイズムで日本の行く末を決めるのは避けたい。すべての専門家が実践するべきであると思う。西田幾多郎博士は期待していたと思う。

専門家のエゴイズム
 大体、専門家は叡智的自己のようであり(哲学的に知らなくても)、自己を残していて、世界の立場でない。エゴイズムの問題がある。叡智的自己の底に世界の立場がある。 このような深い自己洞察、自己の根源を洞察する方向のプラクシスをする人は少ない。はやりのマインドフルネスは己を問題にしていない。
【目次】日本のマインドフルネスの再興を
Posted by MF総研/大田 at 10:18 | 新しい心理療法 | この記事のURL