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(36)「寺院消滅」か [2015年10月30日(Fri)]

西田哲学からみる科学学問、そして哲学
 〜マインドフルネスSIMTと表裏

(36)「寺院消滅」か

 =個人、種(共同的社会)、世界について考える

 「寺院消滅」(日経ビジネス)という本が出版されましたね。現実だと思います。西田哲学が予言したとおりです。
 禅宗はマインドフルネス心理療法と類似しているし、私も禅の研究をしましたので、気がかりです。できれば消滅しないでほしい。 しかし、宗教組織も社会内団体です。社会創造をしなくなれば消滅してしまいます。
 世界は、種的(社会的共同的)に個人が行動して世界を作っていく。世界を作らない種は死んだもの、消滅していく。寺院が社会に提供することができるのは、教義により市民を救済する宗教の本務サービス、墓地関連サービス、施設観光サービス、幼稚園経営サービスなどがある。これらを地域市民が必要と感じるならば、その種は消滅しないだろう。
 種が生き残るためには、時代にあわせて変化していかなければならない。鎌倉時代、江戸時代、昭和時代に必要とした寺院サービスが平成の時代、それから30年後も地域住民が必要と感じるならば、その種を消滅させない。人口が減少していく、特に地方がそうである。墓地、観光、幼稚園経営などは縮小する、多くの寺院が消滅するだろう。ビジネスもそうであり、大学も、福祉団体も、病院も、科学団体も、自治体(地方の村の崩壊など)も、マインドフルネス団体(これらも「種」である。)も、社会が必要としなければ消滅する。 人口が減少するので、それがあらわになる。
 西田哲学では、個人、団体、世界をつぎのようにみていると思います。

 個人の真の行動(行為的直観)は、個人と絶対者との関係である。 団体行動は、他者(トップの集団的)の一般的見解に従っているのであって、 個人が絶対者と対決した、真の行為的直観ではない。 しかし、種は生産様式である。我々の自己は種の中ぼメンバーとして、社会的行動をする。 社会を創造していく、だから、我々は種(共同社会)を離れることはできない。種的に行動する、しかし、その中で個人が個人で個性を発揮して行動する。個人の行動は行為的直観である(『世界の自己同一と連続』)。
 固定した団体は生きた団体ではない。因習的に行動するのは、個人の死である。 種の中にあって、他者に依存せず、絶対者の射影点となって、働いていく、時代の変化に応じて、種も変化していくことが種が存続する。そういうふうに種の中で個人が時代にあわせて自由に行為できることがその種が生き延びていく道である。(『絶対矛盾的自己同一』)
 後期西田哲学で、個人と種(共同社会)と世界の関係をだいたいこんなふうに説明していると思います。団体が統一見解を強要して個人の自由を束縛すると、日々変化していく外部の世界からかけはなれていき、外部社会から必要とされなくなり、個人も個性を発揮できないので意欲を失い、その団体は消滅していくようです。個人も団体も、日々動いていく世界の中にあります。固定した個人も団体も時代と世界から遊離してしまいます。
 組織(種)の中で、種の一般的方針ではなくて、個性的な方法で社会貢献する人がいます。そのことで、その種の信頼性が生じて、その種の存続に貢献します。私も団体の一般的方針ではない、個性的な瞑想を指導してくださった「個人」(種のメンバーの帽子をかぶり)によって、救済された一人です。種は、個性的な個人によって行動するのです。個人が組織を動かすのです。個性のない一般的方針ばかりで行動するメンバーだけがいたら、その種はいずれ崩壊します。その組織の足場になっている社会が日々、変化しているからです。
 団体、組織は存続していても、メンバーは自分の自由を発揮できないと、肝心の価値で働くのではなくて、別の価値に生きがいを見出して、それにエネルギーをそそぎます。自分の価値観で、自由に生きたい、時代に合わない、組織の硬直した方針には魅力がない。自由に別なことをする。それが、人間の本質です。無数の種が生まれ、時代にあわないと、消滅していきます。時代、民族を超えて根底のすべての人間に共通の絶対平等なところ(人格底、絶対無)はかわりません。
 こうした領域は、叡智的自己、人格的自己のマインドフルネスです。日本のマインドフルネスの原典ともいうべき、西田哲学は、こうした団体のエゴイズムまでも観察(無評価で=自分の組織の立場でなく)するように要求しています。もっと、日本のものを大切にすべきです。「マインドフルネス」の定義も変わるべきです。硬直した定義であると、それに限定されない社会変動においつかず、時代遅れになるでしょう。仏教がそれぞれの時代の組織で硬直したので、消滅しました。寺院も、マインドフルネス集団、大学も企業も同様になります。
(語句)
★SIMT:Self Insight Meditation Technology/Therapy。日本的マインドフルネス。大田健次郎 (2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社、大田健次郎(2014)『マインドフル ネス 入門』清流出版。
★学問的マインドフルネス⇒この記事
★社会的マインドフルネス⇒この記事
★世俗的マインドフルネス⇒この記事
★宗教的マインドフルネス⇒この記事
 =それぞれの教団によって、哲学とマインドフルネスの方法が違う

★「人格的自己への原体験」「人格的自己的体験」
「人格的自己の基礎となる直覚的体験」「自覚的直観、創造的直観の基礎となる体験」、仏教 では無生法忍、見性、回心などと呼ばれた。
【目次】西田哲学からみる科学学問、そして哲学
 〜マインドフルネスSIMTと表裏


参考

★(目次)NHK E テレビ、こころの時代「日本仏 教のあゆみ」
 ある特定の集団の立場に立たないで、根源的な人間のありのままの立場から学問をしようと する例のようです。

★(目次)道元禅師のマインドフルネス
★(目次)人格的自己の「マインドフルネス」へ
★(目次)さまざまなマインドフルネス
★(目次)最も深いマインドフルネスの実践の哲学
★(目次)昔から日本にあったマインドフルネス

★(目次)人格とは何か
★専門家は独断におちいりやすい
 =人格的自己でなくある目的、立場の専門家としての叡智的自己だから

★自覚的直観、創造的直観
Posted by MF総研/大田 at 20:28 | 深いマインドフルネス | この記事のURL