(26)禅を越えたものがある [2015年09月24日(Thu)]
☆10月3日、マインドフルネス精神療法研究会(D1)
マインドフルネス瞑想療法士の講座を受けた人のスキル向上の研究会。 ★「マインドフルネス瞑想療法士」の資格へ移行 以前に、マインドフルネス総合研究所で、SIMTの講座を受けた人は、追加講座を受けると、「マインドフルネス瞑想療法士」(登録商票)の資格を認定されます。ご希望のかたは、研究所のメールにご連絡ください。 (本年中受付け、移行プログラムを本年から来年に実施します。特別の措置は、これ限りです)
現代的社会的創造的マインドフルネスへの実践とは
見て働く、働きつつ見る、その時の心得が現代的社会的マインドフルネスとなるのでなければならない。今、ブームの「世俗的マインドフルネス」は、見る局面の「形式技法」に集中しているようで、働く局面が弱い。実在した出家的仏教に似ている。「己を尽くす」とか「至誠の実践」のような「目標技法」がはいっていない。「世俗的マインドフルネス」は、初期仏教の「正念」の形式だけを応用した感がある(藤田一照氏、2014、「日本のマインドフルネスに向かって」)。
仏教は、釈尊、部派仏教(説一切有部が最大)、大乗仏教、中国仏教、中国襌、日本の禅や念仏、白隠の禅などと展開してきた。西田哲学は、それらをすべて包みさらに発展させたようである。禅や念仏、キリスト教の長所をとりいれた、もっとも発展した「一人類教」の如きものが、西田哲学になっている。「一人類教」は、V・E・フランクルも言ったことである。いまだに、実現されていない。こんなに知性が発達したのに、何ということであろう。 今、ブームのマインドフルネスは、過去の仏教や禅の限界を克服して、先をいくものではない。寺院の中にとどまらず、世俗社会に活用されているが形式に偏っているので、思想哲学が弱く、むしろ哲学は全く後退している。西田哲学は、過去の宗教の核心、長所をつかみ、新しい実践論を提案しているように見える。この「遺書」の真意を汲み取り、現代に活かすのが我々、日本人の責務であろう。西田哲学も読み、理解するだけでならば、「働く」局面がない。 西田哲学で「働く」ことが、日本のマインドフルネス者の課題であろう。 (語句) ★SIMT:Self Insight Meditation Technology/Therapy。日本的マインドフルネス。大田健次郎 (2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社、大田健次郎(2014)『マインドフルネス 入門』清流出版。 ★学問的マインドフルネス⇒この記事 ★社会的マインドフルネス⇒この記事 ★世俗的マインドフルネス⇒この記事 ★宗教的マインドフルネス⇒この記事 =それぞれの教団によって、哲学とマインドフルネスの方法が違う 【目次】西田哲学からみる科学学問、そして哲学 〜マインドフルネスSIMTと表裏 (参考)人格的自己の「マインドフルネス」へ |
|
Posted by
MF総研/大田
at 07:14
| 深いマインドフルネス
| この記事のURL