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<目次>西田哲学からみる科学学問、そして哲学〜マインドフルネスSIMTと表裏 [2015年08月21日(Fri)]

<目次>西田哲学からみる科学学問、そして哲学
 〜マインドフルネスSIMTと表裏

 竹村牧男先生(東洋大学学長)のNHK Eテレビの放送を拝見して、内容からそれて、西田哲学がいう科学・学問や哲学について、書いてきました。

 竹村先生は、自己の底に自己を超えたものがあると、日本仏教の開祖はみなおさえていたという立場からの学問研究をされておられるのだろうという感想から、西田幾多郎の主張を思いだしました。 西田哲学では、かなり、多くのところで、この問題に触れています。 ご紹介したいことが多いので、このテーマは独立の連載記事にいたします。
 テレビの内容は、それにそって感想を述べさせていただきます。

<目次>西田哲学からみる科学学問、そして哲学
 〜マインドフルネスSIMTと表裏

☆(1)科学はある立場に立つ
☆(2)哲学もある立場にたつものがある
 絶対無的な立場でない浅い自己の立場

☆(3自己の根底には、意識的自己を越えたものがあり、科学は、その立場からすべき
☆(4)哲学と宗教とは常に相表裏する
☆(5)平常底、日常生活の底に絶対的一者
☆(6)すべての人の根底にデモーニッシュな形成力
☆(7)輸入学問が多いなかで西田哲学は独創的
☆(8)色即是空 空即是色=一度否定そして新しい見方
☆(9)V・E・フランクルも自己を越えたものがあるという
☆(10)仏教哲学は大きな違いがある
 現代人には、現代にふさわしく再点検を

☆(11)最も深いマインドフルネスの実践とは
☆(12)最も深いマインドフルネスの実践とは(2)
☆(13)最も深いマインドフルネスの実践とは(3)
☆(14)自己を無にして
 =物となって見る、物となって働く

☆(15)自己を無にして
 =物となって見る、物となって働く
 =自己否定的肯定

☆(16)円環的限定
☆(17)3つの契機
☆(18)インド、中国仏教の限界
☆(19インド、中国仏教の限界(2))
☆(20)インド、中国仏教の限界(3)
★(参考)大乗仏教の階位
 =悟りのことを「無生法忍」といった。このあと、社会の中で他者のために働く長期間の修行がある。社会は複雑であるから、支援行動は難しい。生涯自己成長と世界創造が続く。
☆(21)現代的社会的創造的マインドフルネス
 =今生きている現実の世界を足場に
☆(22)西田幾多郎の実践論(梗概)
☆(23)「平常心是道」が誤解される
☆(24)意識的自己を棄てる、私欲を離れる
☆(25)観照は堕落
☆(26)禅を越えたものがある
☆(27)自己を尽くして自己の根底の真の自己を徹見
 形式にとらわれると宗教の堕落

☆ (28)仏教も変遷して日本にあったよきものを真に活かすべき
☆(29)生命に関する苦悩
☆(30)根底に対象とならない場所をもち、世界と自己の成立のところ
☆(31)人格的自己の基礎となる直覚的体験
☆(32)論理的に説明しなければ世界に通用しない
☆(33)ありのままに観察
☆(34)叡智的自己・専門家
☆(35)西田哲学は従来の宗教を批判
☆(36)「寺院消滅」か
 =個人、種(共同的社会)、世界について考える ☆(37)仏教の再生
☆(38)虐待
☆(39)なぜ救済されたという感情が起きるか
☆(40)行為的直観にはポイエシスとプラクシスの位相
☆(41)我々が真に生死を賭し得る実践
☆(42)社会悪と個人悪
☆(43)なぜ生きるのか
☆(44)大小高下ではない
☆(45)ヴィパッサナー瞑想の哲学は?
 「三世実有、法体実有」、過去世、来世がある、輪廻転生する
☆(46)ダルマ(法)は実在=初期仏教
★アインシュタイン博士の遺書で考える ☆(51自己の真相を知らずに暮らして、知らずに死にゆく)
☆(52)多くの人はこれに気づかない
☆(53)真の当為は主観的自己からではなく絶対者から
☆(54)無作用的作用形型, 見るものなくして見る
☆(55)物となって見、物となって考え、物となって働く
☆(56)東洋的無心は、芸術と反対
☆(57)金子みすゞの不思議な世界
☆(58) 超越と内在
☆(59)最も深い東洋的道徳
☆(60)過去未来が現在において同時存在=絶対現在
☆(61)見性・回心・無生法忍
(参考)道元禅師は「悟り」「身心脱落」「得法」などという
☆(62)その時代環境を足場にしてよりよく変化した仏教
 =これからも変化を続けないと化石となる
☆(63)真のプラクシス・二者択一
☆(64)真の自己に真のプラクシス
☆(65)新しい宗教が必要=西田幾多郎
☆(66)新しいキリスト教も現れてほしい
☆(67)西田哲学は我々の自己の真実
☆(68)因習的に行動基準を押し付けるのは、個人の死

参考

★<目次>NHK E テレビ、こころの時代「日本仏教のあゆみ」

 ある特定の集団の立場に立たないで、根源的な人間のありのままの立場から学問をしようとする例のようです。

★<目次>道元禅師のマインドフルネス
 =「宗教的マインドフルネス」ということになります。仏教の核心の「正覚」はあるのに、「仏道」という単一の価値 追求の出家(妻帯しない、生活のための職業を持たない)中心の傾向の思想があり、家庭や職場を持つ人にはと ても難しい宗教観。そのままでは、実践する人が少なくなっている。
深い哲学と至誠に類似する実践がある、これを「社会的マインドフルネス」にすることが、日本人の責務。
★(目次)人格的自己の「マインドフルネス」へ
★人間=自己とは何か
★(目次)さまざまなマインドフルネス
★(目次)最も深いマインドフルネスの実践の哲学 ★(目次)瞑想の問題点
★(目次)マインドフルネスの段階・観察するものの深さ、自利利他の階層
★【提案】全部の県に一つ。こういうスタッフによりマインドフルネスSIMTのセンター
Posted by MF総研/大田 at 04:36 | 深いマインドフルネス | この記事のURL