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NHKEテレビ「日本仏教のあゆみ」4回目(2 [2015年07月30日(Thu)]

NHKEテレビ「日本仏教のあゆみ」
4回目「浄土への憧れ」(2)

 12日は、竹村牧男先生のテレビ、4回目でした。 さらに、気づいたことを書いてみます。
 浄土経(法然上人、親鸞上人がこれによる)は、阿弥陀仏の教えとされます。 竹村先生が説明されました。阿弥陀とは、無量寿、無量光の意味があると。 無量寿とは、永遠の生命です。浄土教の教えのとおりに、生活すれば、阿弥陀仏に救われるのです。
 これと似たようなことを西田哲学も説明しています。西田哲学の場合、我々の自己の根底に仏、絶対的一者を 自覚するのです。それはやはり、永遠の今です。このことから考えると、本来、浄土経典がいうのも、西田哲学でいうものと 同じである可能性があるのです。西田幾多郎は、親鸞聖人、道元禅師、キリスト教を根底は同じとみています。 西田哲学の言葉の一つは次です。
     「すべての時を包み、現在が現在を限定する意味にて、すべての時を限定する絶対的現在ともいうべきものは、 周辺なくして到る所に中心をもつ絶対無の自覚的限定ということができる。かかる意味に於て絶対的現在と考えら れるものは何処にても始まり、瞬間毎に新たに、いつでも無限の過去、無限の未来を現在の一点に引き寄せるこ とのできる永遠の今ということができ、時は永遠の今の自己限定として成立すると考えることができる。」 (『無の自覚的限定』のうちの『永遠の今の自己限定』西田幾多郎旧全集6巻188頁)
 すべての私たちの根底は絶対無です。過去から現在へ、未来へと直線的に流れる通常の人が考える時間は直 線的限定といいます。考えられた時間です。 あまりに早いので意識されないのですが、根底の絶対無の場所では、瞬間ごとに時間が消えているのです。 永遠の今なのです。私たちの根底で、時が消えて、そしてまた生まれています。過去も消え、未来も消えます。 こうした働きは円環的限定」といいます。 いつも新しいのです。(ジョン・カバット・ジンのMBSRの7つの心得の一つは、ここから出てきたのかもしれません。キリスト教のいう世界の終わりと世界の初めも、これを指している可能性があります。エクハルトがそうです。)
 すべての人の心の根底では、瞬間ごとに時が消え、絶対現在になっています。永遠の今です。このことを知るの が、念仏や至誠の生活を通して得る絶対無の自覚です。浄土経典を作った人は、念仏でも絶対無を悟ることができることを知っていたのでしょう。 坐禅、瞑想でなくても、悟りを得ることができるというのです。大切なことは、「三心」、特に「至誠心」であることが共 通のようです。我執を捨てる、自我を用いない。これは道元禅師も繰り返し言っています(『正法眼藏随聞記』)。 西田幾多郎も東洋の実践道徳は「至誠」であるといっています。  インド大乗仏教、親鸞上人、道元禅師、西田幾多郎に共通のことが多いのです。そして、西洋のキリスト教にも。エクハルトのことを西田幾多郎の言葉でみてみます。

文献:
竹村牧男、2015a『日本仏教のあゆみ』NHK出版
竹村牧男、2015b『日本仏教思想のあゆみ』講談社学術文庫

★NHKこころの時代「日本仏教のあゆみ」 参考
    <目次>道元禅師のマインドフルネス
     =「宗教的マインドフルネス」ということになります。仏教の核心の「正覚」はあるのに、「仏道」という単一の価値追求の出家(妻帯しない、生活のための職業を持たない)中心の傾向の思想があり、家庭や職場を持つ人にはとても難しい宗教観。そのままでは、実践する人が少なくなっている。
    深い哲学と至誠に類似する実践がある、これを「社会的マインドフルネス」にすることが、日本人の責務。



Posted by MF総研/大田 at 12:10 | 深いマインドフルネス | この記事のURL