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NHKEテレビ「日本仏教のあゆみ」3回目 [2015年06月30日(Tue)]

NHKEテレビ「日本仏教のあゆみ」
 3回目 密教の曼荼羅世界

 21日は、竹村牧男先生のテレビ、3回目でした。 やはり、深い現実的な見方を示されました。 詳しく書く余裕がありませんので、一つだけ。

 密教では、曼荼羅の図があります。観音や仏が多数、配列されます。 あれは、この世の(死後、天上でなく、この現実世界の)無数の人間を表しています。各人が、根底に絶対的一者を持つこと、この世界が、曼荼羅のように、すべての人格的自己から成っていることを現わしています。だから、宮沢賢治も、すべての人がそういう尊い存在であると拝む常不軽菩薩であったのです。 竹村先生の密教の解釈もそのようです。

 では、どうしたら、それを悟ることができるのか。古来、日本ではさまざまな手法が工夫されてきました。マインドフルネスの要素があります。

 現代の人は、環境と人間が、過去と違います。昔の封建社会で工夫された方法ではする気がなくなっています。新しいマインドフルネスの手法が必要です。西田哲学は論理的です、煙にまきません、やればわかるとは、いいません。聞いて思考で知って、そして実践して、観察(実践的知る)していく(意志)。そして、自己の真相を知り、行動していく。昔の手法は、論理的説明をとばして、方法だけをいうので、専門家でさえもわからずに、実践(意志作用、直観レベル)をやめてしまいました。文字の研究、文字での紹介、文字での学習(思惟レベル)だけになりました。仏教も禅も、実践的マインドフルネスではなくなっています。読む仏教、読む禅。
★NHKこころの時代「日本仏教のあゆみ」 参考
    <目次>道元禅師のマインドフルネス
     =「宗教的マインドフルネス」ということになります。仏教の核心の「正覚」はあるのに、「仏道」という単一の価値追求の出家(妻帯しない、生活のための職業を持たない)中心の傾向の思想があり、家庭や職場を持つ人にはとても難しい宗教観。そのままでは、実践する人が少なくなっている。
    深い哲学と至誠に類似する実践がある、これを「社会的マインドフルネス」にすることが、日本人の責務。

Posted by MF総研/大田 at 10:30 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL