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竹村牧男先生のテレビ2回目 [2015年05月19日(Tue)]

NHKこころの時代「日本仏教のあゆみ」(4)
 =第2回「法華思想の開花」について

 NHK Eテレビの「こころの時代」で6回シリーズで、竹村牧男先生(東洋大学学長)が「日本仏 教のあゆみ」についての説明が始まっています。

 17日のNHK Eテレビで竹村牧男先生の放送がありました。日本人に親しまれた法華経の教えですが、やはり、竹村先生独特の深い解釈をされていました。 少し説明したいのですが、現在、緊急に処理しなければならないことが山積していますので、一段落したら、竹村先生が、静かに淡々とかたられた言葉が、深いものを指摘されていましたので、ふれてみたいと思います。西田哲学が、絶対的一者、絶対無というもの、井筒俊彦が無分節というものが、法華経でもとかれているのです。久遠実成の釈迦牟尼仏といっていますが、それが、すべての人の根底にあるわけです。今の、あなたにも。だから根底からいつも常にあなたに働きかけているのです。
 V・E・フランクルが「あなたは人生から意味を問われている」というのも、ここに関係していると思います。フランクルがわかりにくいのは、そのせいだと思います。

 絶対的一者は宗教的レベルのマインドフルネスしか扱えないところです。しかし、それにまねる「世俗的マインドフルネス」や「社会的マインドフルネス」、根源的なところに学ぶ=習う、マインドフルネスの実践をすると、やや根底に近づいていくから、それなりの問題、集中できない、心の病気、対人関係の苦悩、大きなトラウマの苦、死の不安、などから開放されるのです。本当は、いつも一瞬一瞬、苦から開放されているのですが「大百牛者」(仏性、無分節)に乗っているのですから。
★NHKこころの時代「日本仏教のあゆみ」 参考
    <目次>道元禅師のマインドフルネス
     =「宗教的マインドフルネス」ということになります。仏教の核心の「正覚」はあるのに、「仏道」という単一の価値追求の出家(妻帯しない、生活のための職業を持たない)中心の傾向の思想があり、家庭や職場を持つ人にはとても難しい宗教観。そのままでは、実践する人が少なくなっている。
    深い哲学と至誠に類似する実践がある、これを「社会的マインドフルネス」にすることが、日本人の責務。

Posted by MF総研/大田 at 08:49 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL