学問的マインドフルネス [2015年05月06日(Wed)]
学問的マインドフルネス実践する仏教、実践する禅と、文字の研究だけする学問仏教、学問禅があります。「マインドフルネス」も、自分自身が実践しないとか、臨床的にクライエントに向かっていないならば「学問的マインドフルネス」です。自分のものではなくて、他のマインドフルネス者のものの文字的紹介です。その紹介者が実践できる生きたものではありません。文字の研究は思考レベルです、実践は自利の行動レベルです。他者に実践を伝えるのは利他の行動です。全く違います。 学問的マインドフルネス者ばかりになったら、クライエントは援助を受けられません。 次は、別のことです。 後にいくほど難しくなります。
(2)理解したことを他者に伝えること。 (以上、知識) (3)理解したことを実践すること。 (以上、自己のための行動、意志作用であるが、自利) (4)自分で実践したことの範囲を他者に伝えること。 (以上、他者への行動、利他、大乗仏教が慈悲といったものに類似) (5)自分で実践したことの範囲を超えたものまでも 創造すること。 (以上、他者になかったものの新規開拓、独創、まだ他者に開示しない) (6)自分で実践したことの範囲を超えたものを創造したことを、他者に伝えること。 (7)(さらに、マインドフルネスは、仏教がそうであったように、深さの違うものがあります。知的自己レベル、意志的自己レベルから叡智的自己レベル、人格的自己レベルまである。 そこがまた、学問的なものと、自利実践、利他実践に分かれます。実践がないと社会的マインドフルネスではありません。 ) 日本的マインドフルネスの実践を尊重し、学問的な研究もすすめたいという方針で、機関誌『マインドフルネス精神療法』の発刊と 実践状況の発表会を開催します。両方とも最低1回づつはしようとしています。 では、道元禅師による学問としての仏教の批判をみます。現代の大学などでの仏教や禅の学問 が、現実の社会の現場には活用できていないことと同じことでしょう。
★NHKこころの時代「日本仏教のあゆみ」
=寺院の道場に逃げるな。葛藤が渦巻く家庭、職場、対人場面で心を鍛錬せよ (2)奈良時代の南都六宗 仏教の経典、論書の研究 (3)学問的マインドフルネス =文献だけあるマインドフルネス (参考)宗教的マインドフルネスと社会的マインドフルネス (4)テレビ第2回「法華思想の開花」(1) (続く)
=「宗教的マインドフルネス」ということになります。仏教の核心の「正覚」はあるのに、「仏道」という単一の価値追求の出家(妻帯しない、生活のための職業を持たない)中心の傾向の思想があり、家庭や職場を持つ人にはとても難しい宗教観。そのままでは、実践する人が少なくなっている。 深い哲学がある、これを「社会的マインドフルネス」にすることが、日本人の責務。 「世俗的マインドフルネス」 宗教的マインドフルネス、社会的マインドフルネス 学問的マインドフルネス |
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Posted by
MF総研/大田
at 08:21
| さまざまなマインドフルネス
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