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(目次)マインドフルネスには哲学がつきもの(1) [2015年01月28日(Wed)]
叡智的自己、人格的自己のマインドフルネスは、2つの研究会で実践、研究していきます。ご参加をお願いいたします。
⇒2つの研究会へのリンク


★日本的な深いマインドフルネスの探求の会
 =治った人、病気ではない人、自己評価の低い人、マインドフルネスの研究者、マインドフルネスの専門家、がん患者さんとご家族・・。
★マインドフルネス心理療法の研究発表大会
 =研究段階が終わり、臨床に適用中、発表会

マインドフルネスには哲学がつきもの(1)

 マインドフルネスには、必ず、理論となる哲学があります。 すなわち、理論、仮説、思想などです。マインドフルネスの哲学を知らずに、技法とだけと認識し て、用いることもできます。後者は、前者に比べて、限界があります。わけがわからず、手法を用い るわけです。V・E・フランクルもいうように、心理現象の奥に、精神があります。というと、もう哲学に なります。さらに精神の奥に、自己存在があるとする哲学もあります。この哲学ですと、自己存在に かかわる問題を扱うことができます。哲学を知らずに、ただ技法だけを用いると浅い心理現象だけ にかかわる問題に適用できるでしょう。

 宗教者にマインドフルネスの方法の教えを受けると、その宗教哲学、宗教思想を刻みこまれます 。カルトといわれる反社会的な宗教思想を持つ集団もあります。瞑想、ヨーガ、自己啓発セミナー などで誘いました。今は、マインドフルネスの看板で誘う可能性があります。

 だから、 そのマインドフルネス手法の背景に、どのような哲学、宗教思想があるのか、そのマインドフルネス の指導者がどのような哲学、宗教思想であるのか、知っているのがいいのです。 霧の中にいると、最初は濡れませんが、長い時間がたつと、濡れてきます。

 子育ての間に「お前はだめだ」と言われつづけた子は成人になっても、自己評価が低い人にな るおそれがあります。全く健常であった人が、パートナー(配偶者、恋人)から「お前はだめだ」と言 われ続けて、自己評価の低い人になることがあります。

 哲学、思想のあるマインドフルネスは、「だめだ」というのではなくて、「人はこういうものだ」あるいは「宗教実践とはこういうものだ」という思想を持って、手 法(宗教的行為)を実践し続けます。その思想が浅い思想であれば、その程度が、人間、自分である、「こういう宗教行為が尊い」と言われつづけると、そういう思想が刻みこまれます。 反社会的集団の中に長くいると、その思想を刻みこまれて、洗脳といいます。洗脳されると、変 わることはとても難しいです。心理関係の学問、心理療法も似ています。一度、ある流派を習得す ると、それが最も良いように思われてきますと、もう他の流派を受け入れることをしなくなるおそれがあります。なぜなら、習得したものを乗り換えることは難しいからです。井筒俊彦は、「言語アラヤ識」に 刻みこまれると言います。(『意識と本質』岩波書店)
 ただし、一部の人は、その思想、哲学、理論に満足できないで、さらに別のものを求めていきます。 実は、仏教の歴史がそうです。釈尊そのもの、原始(初期仏教、これも多数に分派)、大乗仏教(こても多数に分派)、中国仏教(多数の分派)、日本仏教(多くの宗派)と分かれました。 重大な哲学の差異があるので、分派したのです。 たとえば、現代のマインドフルネスにも、自己存在とは 何か、という自己観について、差がありますね。それと似て、仏教の宗派は、かなり異なる哲学、思想を持ちます。 古いタイプのものも存続するものもあれば、廃絶した宗派もあります。

 マインドフルネスも、心理療法も、仮説、理論、哲学、すなわち、究極的にどこに導こうとしているのかということがとても大切です。 日本人は、ふつう、18歳まで宗教や哲学を教えられないので、とまどってしまいがちです。さそわれるものに入っていくでしょう。 日本の仏教は安心できます。どのような思想か明確になっており、事件を起こしていません。むしろ、積極的に安心できる宗教を持つと、他の反社会的なものに向かわないという利点があります。西田幾多郎は、深い宗教は、学問・科学と表裏するといいます。深い宗教は、エゴイズムの自我を抑制しようとするからであり、学問も全く、自分の利益(金めあて、名誉目当てなど、不正が全くない)の全くない、事実そのまま、世界の立場であるべきだからです。
マインドフルネスには哲学がつきもの
★日本文化には独自の精神があった=マインドフルネス
 =今、世界に通用するすべての人間の絶対平等性を知っていた日本人
★深い宗教ならば、死の不安、自己評価の低い苦悩を支援できる
 −しかし、自己存在の探求という核心を失った仏教
★V・E・フランクルも西田哲学と似た、精神の立体構造をいう

★さまざまな哲学から様々なマインドフルネスが

★マインドフルネスはすべての人がすべきこと

★人は言葉に縛られる
 =そして、言葉で作った思想、仮説、学説に縛られる
 =仏教、襌、その他の宗派も、マインドフルネスもその流派の哲学、思想、学説(その流派の研究者の解釈)に縛られる。人の構造の哲学があるか、 認識論的哲学があるか、自己存在論的哲学があるか。(哲学と記したのを「解釈」「理解」としてもよい)
★低い自己評価の実際=20代の自殺
 =ほかに、虐待された人、虐待する人、家族に暴力を振るうひと、振るわれる人、パーソナリティ障害、犯罪の被害者、非定型うつ病、不安症/不安障害の人、死を意識するがん患者などにも自己存在の苦悩がみられる。
★うつ病、不安症/不安障害は生き方の苦悩である
 =だから、人間哲学のないマインドフルネスでは治せない
Posted by MF総研/大田 at 21:17 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL