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ジョン・カバット・ジン氏のMBSRは浅い [2015年01月15日(Thu)]

ジョン・カバット・ジン氏のMBSRは浅い、全体性(=人間の根底、真の自己の基礎)に入る扉の前にすぎない
 =ご自身が言っておら れる

 マインドフルネスはアメリカのジョン・カバット・ジン氏がMBSR(マインドフルネスストレス緩和プ ログラム)を開発して、世界的な運動にしたのです。しかし、絶対視して何にでも応用できる万能性とみてはいけないでしょう。彼自身がMBSRは浅いものであると公言しています。だから、深い哲学に裏づけられなければ解決しないような根が深い問題には、MBSRだけでは無理なのです。MBSRは、うつ病の改善法とはされていません。マインドフルネスにも、痛みの緩和と、うつ病などの改善とは、深さが違うものがありそうです。ぐいぐいと意識を志向させていく哲学のモデルによります。対象的な苦悩の探求か、対象とならない自己存在の探求のあるマインドフルネスであるのかの違いもあります。
 MBSRは、「全体性」への扉にすぎないといっておられます。西田哲学をものさしにしてみると、MBSRの扱うのは、感覚や 身体の動きが主です。その奥に、思考、感情、意志、直観があり、その奥にやっと「全体性」が出てきます。彼は、深いマインドフルネスはまだ提案していません。それは、日本でいうならば、深い 襌の実践に該当するからです。そこは、日本の宗教の禅宗があつかっているところです。西田哲学でいう叡智的自己、人格的自己の実践化にも該当するからです。そのマインドフルネス化は、大変な事業 です。MBSRは、浅い意識現象(感覚が中心)の観察であるために、深い意識現象に根ざす、うつ病や死の不安には、効果が充分ではないのです。MBSRは感覚レベル、そして感情レベルの問題には、有効でしょう。応用領域が広まっているようです。
 私がこんなことを申し上げるのは、試験的に実践してくださるクライエントの人権を考慮したいからです。マインドフルネスに期待されるかたは、つらく、長い苦痛をもっておられます。 専門家の試したい都合ではなくて、よく哲学を理解した上で、試験的に適用したい問題に合致しているかよく検討してから、試験的に適用しますがいいですかというインフォームドコンセントのようなものがあるのが、患者の立場でしょう。専門家がクライエントの問題の根源にとどかない技法、治療法を用いるはずがないという患者の期待を重視しなければなりません。専門家の倫理です。マインドフルネスが乱用されると、社会の信用を失ってしまいます。

 以下、彼が、MBSRの瞑想は浅く、さらに奥に、非常に深い「全体性」があるという言葉です。
     「「マインドフルネス瞑想法」のトレーニングは、一般的に行われ ているリラクセーション・テクニ ックやストレス対処テクニックとは 明らかに異なっています。最も大きな違いは、このプログラムが 、 ”全体性”を直に体験するための扉を提供しているという点です。」
 「全体性」を理解すること、体験することのは容易ではないのです。一生のことです。西田哲学でいえば、絶対無です。井筒俊彦 でいえば、絶対無分節です。容易ではありません。「一生の 仕事です」と言われるのです。MB SRは、最初のステップです。だから、わずかな8週間が標準なのです。とても、うつ病などを改善 できません。MBCTもうつ病の再発予防法です。
     「”全体性”は、生まれたときからもっていたものです。つまり、 ”全体性”という視野をもつことで 、今までとは違ったとらえ方がで きるようになり、分裂した思考も、恐怖、弱さ、不安なども乗り越 え ることができるということです。絶望さえも乗り越えることができる のです。  しかし、”全体性”や”内的な結びつき”を理解するのは、一生の 仕事です。瞑想トレーニング は、それらを理解するために意識的にふ みだした最初のステップにすぎないのです。」
 全体性ならば、「分裂した思考も、恐怖、弱さ、不安なども乗り越 え ることができる」といっています。(ちなみに、意志作用レベルの自己洞察瞑想療法(SIMT)は、MBSRと全体性の中間に位置します。うつ病なども改善します。がん患者の死との取り組みは、叡智的自己、人格的自己=全体性になるでしょう。)

 そして、カバット・ジン氏は、深いマインドフルネスは2千年前から東洋にあるというユングの言葉を引用しながら、同意しています。このことから、「全体性」は、鈴木大拙、西田幾多郎らが説明しようとした仏教、襌、東洋の哲学に関係したものであることが明らかです。
     「これまで、多くの偉大な思想家たちが、”全体性”という概念や 、自分の人生の中で”全体性”をどのように認識していくか、という ことを追及してきました。スイスの偉大な心理学者ユングは、東洋の 瞑想の伝統を高く評価していました。彼は、「東洋の冒険的な思想家 たちは、この問題(”全体性”への到達)を二千年以上も追求してき た。この点、西洋の方法論や哲学理論などの業績は、東洋の業績を前 にすると色あせたものになってしまう」と書いています。ユングは明 らかに、瞑想と”全体性”の認識との関係を理解していたといえます 。」
 仏教は「二千年以上も追求してき た」もので、初期仏教、大乗仏教、中国仏教、日本の仏教と 探求が深められてきました。自己の哲学がかなり変化しています。ジョン・カバット・ジン氏にあるのは、道元禅であるようです。 西田幾多郎ほかの哲学者によると、道元禅師にも深いものがあります。「全体性」とよぶようなものもあります。
 痛みなどの感覚ではなくて、思考、感情、意志、直観、自己存在に発する苦悩や専門家(芸術、スポーツなど)など のスランプや、他者援助の専門家の自分のスキル不足の痛感(もっと深いものでないと充分に援助できないという良心の責め)など、もっと深いマインドフルネスが必要でしょう。日本にあることを忘れてはならな いでしょう。「青い鳥をさがすチルチルとミチルの2人兄妹が、夢の中で過去や未来の国に幸福の象 徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の 中にあったという物語があります。
 最も深いマインドフルネス、他のすべてのマインドフルネスを包括する(だから全体性)マインド フルネスはアメリカではなくて、日本にあるのです。すべての人にあるのです。外国ではなくて、 日本の襌や西田哲学などの中をさがすべきだと思います。
 カバット・ジン氏がいう「全体性」のマインドフルネスの開発には、何十年もかかるでしょうが、しなければなりません。 自分の喜びを満足させる立場(ドクサ、エゴイズム)の技術、手法、理論て他の人を自己の世界にとじこめる集団とトップ、 虐げられた人の人格否定の苦やがん患者の死の不安のように、薬物療法では及ばない、深いところに根ざす問題が多いからです。「人間は死にます」たった一度きりの人生です。 深く哲学的探求をする専門家が少なくなっていて、残念です。

 フランクルも深い「全体」を言います。こういう哲学のない「技術」がブームの「マインドフルネス」であるから、自己洞察がなければお金もうけの道具にもされる。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2851

西田哲学で、「全体的一」の不正をいう。この全体は何か。人間の哲学は実に深い。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2851

人格的自己のマインドフルネスへ
Posted by MF総研/大田 at 21:21 | 新しい心理療法 | この記事のURL