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新しい見え方=真空妙有(2) [2014年12月10日(Wed)]

マインドフルネスの段階
 = 襌の深まり(7)

第5 新しい見え方=真空妙有(2)

 続きです。自己の根源が無とか空であることを体験した人は、見方が従来とは違います。井筒俊彦氏は、次のように、前後は違うと言っています。

 「まだ観想体験を通じて万物の「無」を自覚していない最初の段階では、世界にはいろいろなも のがあって――つまり「現実」が意味的に無数の単位に区分けされていて――それらのものの それぞれがその名前で示される独特の「本質」をそなえた独立の存在者として現れていました。 これに反して、「無」の観想的自覚を経た後の段階では、同じそれらのものが全て絶対無限定者 としての「一者」の顕現形態として覚知されるのです。襌の立場から見てここで一番大切なことは 、経験的他者界の存在者の一つ一つがどれも「一者」がそっくりそのまま自己を露現した姿として 覚知されるという点にあります。「一者」がたくさんの部分に自らを細分し、それらの部分がそれぞ れ独立したものとなる、というのではない。 そうではなくて、経験界に見られる事物事象の各々が、「一者」そのものの存在的エネルギーの 発露だということです。」 (井筒俊彦『意識と本質』岩波書店、400頁)

 無、空の体験をする前は、名前をつけられた無数のものが、自分とは別に、対象的に見られます。
 しかし、体験の後では、見られるものは絶対者(神、仏)の現れであるとみられます。しかも、絶対者が自分と一つです。大乗仏教では、これを「仏性」「真如」ともいわれました。
 これは、大変おおきな見方の変革です。これによって、さまざまな苦悩の解決が期待できます。 このような深い哲学があるから、大乗仏教はアジア各地に伝播していき世界宗教になりえたのではないでしょうか。体験は、大乗仏教では無生法忍といわれることが多く、この体験のあと、自己と世界、もちろん、苦楽、生死などの見方が大きく変わります。
 マインドフルネスの究極はまだ、ここではありません。先があります。 それでも、ここへ向かう方向の実践がマインドフルネスであるといえますが、この深い段階が「宗教」的見方(絶対者の自覚があるから)ですが、その前は、宗教ではありません。論理的に理解できる範囲です。前頭前野、自律神経、HPA系(視床下部ー下垂体ー副腎皮質)、セロトニン神経の脳神経生理学の研究もすすみ、それとの関係も説明できるようになりました。だから、どの宗教の人でも安心(?)して、とりくめる心理療法、精神療法になりえるのです。
 ただし、もっと深いマインドフルネスでないと、克服できないことで苦悩する人が多いです。 人格を傷つけられた、自己評価が低い、自己の罪、自己の死、などの苦しみです。

<全体目次>人格的自己のマインドフルネスへ
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Posted by MF総研/大田 at 21:24 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL