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襌の深まり(4) [2014年12月02日(Tue)]

マインドフルネスの段階
 = 襌の深まり(4)

 

第3 「空」「無」の体験

 前の境地になると、究極を極めたような気分になる者も多いのですが、まだ、まだです。大乗仏 教が「空」「無」無生法忍というのは次の段階です。井筒は次のように言います。

 「形而上的体験のこの段階では、「一者」は事実上、他者の一者、つまり他者の統一でありまし て、他者はその姿こそ見えませんが、可能的にはまだ互いに区別されている、あるいは区別され 得べき状態にあります。・・・
だが、観想のより一段の深化とともに、この他者の可能的区別もついに消え去って、万物は絶対 の無限定の中に消溶してしまいます。これこそ真の意味での形而上的「一者」の現成。大乗仏 教ではこれを「空」と呼ぶ。襌ではよく「無」という言葉を使いますが同じことです。「万法一に帰 す。一いずくにか帰す」というわけです。」(井筒俊彦『意識と本質』岩波書店、397頁)

 この段階が、身心脱落、無、空、無生法忍、絶対無、絶対無分節です。前の段階では、まだ見 る者が残っていますが、この段階では、見る者、自己がありません。
 これより前の者は、久発意菩薩であり、この空の体験をした者は不退転菩薩になります。 この体験は、とても重要です。人間はすべて平等な人格性があるということをききますが、 絶対平等性の基礎になります。人間の根源は、性別、国籍、人種、宗教に関係なく、絶対無であり、平等、無差別であるという体験なのです。
 マインドフルネスの実践の期間でいえば、この2つの間は、超えがたい断絶があり、半年で体 験する人もいれば、3年、5年、30年かかる人もいます。
 (半年で、体験した例を3人ほど書物でみました。)
 もし、世俗社会の家族や仕事を放棄し てまで、このような瞑想、坐禅に人生をかけると、30年も不全感を持ちつづけます。 中国の唐宋時代の僧侶にはそういう人もみられます。時代と環境が変わったのです。それより以 前のインド大乗仏教では、在家の生活をする中で、修行することをすすめていました。現代は、 むしろそちらが受け入れやすいありさまです。

 襌には、もっと先があります。井筒俊彦の説明をききましょう。

人格的自己のマインドフルネスへ
Posted by MF総研/大田 at 20:25 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL