専門家のエゴイズム(3) [2014年09月16日(Tue)]
専門家のエゴイズム(3)石巻の講座が近づいていて、準備で忙しく、ブログの更新が遅れ気味です。ジャーナリズムのエゴイズムの問題。「天声人語」(13日)にも、 次の反省がありました。
人はみな自分の価値を重視します。総論では他の価値も認めるが、金銭的なことでは自分の価値領域に予算をまわすようにいいます。苦しむ人は、権力がなく、声もとどかず、苦しむ人がなかなか恵まれません。 マインドフルネスにもさまざまなものがある悲しいことですが、人間はエゴイズムが本質的であると西田幾多郎が言っています。 我見、我執、 エゴイズムも浅いもの、深いもの、個人だけを傷つけるもの、多くの苦しむ人の救済を妨害するものなどさまざまなものがあります。それで、マインドフルネスは、さまざまなレベルがあります。エゴイズムの全くないところ、すべての人間の根底がそうだといっています。それにもかかわらず、各人がエゴイズムの見方、エゴイズムの欲望、エゴイズムの行動をするのだといいます。自分に執着しますが、 その自分の見方により自分や他者を傷つける意識現象、エゴイズムを観察します。金子みすゞもそうであるように、深い自己であれば、観察できるものが深くなっていくと、西田哲学が言っています。 感覚レベルの観察のマインドフルネスは、深い苦悩である家族の不和、自己存在の死を意識するがん患者やうつ病の患者には効果が弱いでしょう。ジョン・カバット・ジン氏がいうように、マインドフルネスはまだ「入門」段階です。個人の生涯においても、今のマインドフルネスは入門です。一生かけて探求するマインドフルネスがあるのです。学問研究においても、始まったばかりです。仏教や襌の学問はもう 頂点に達してしまったかのようです(ある研究者はまだであるといいますが)。しかし、マインドフルネスの学問は、始まったばかりです。 マインドフルネスの学問も批判しあって、向上していくことでしょう。 【目次】ジャーナリズムの権力(政治、学問、専門家)批判、自己批判
専門家のエゴイズム さまざまな立場からの思惑 哲学が違う (続く) |
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