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専門家のエゴイズム(3) [2014年09月16日(Tue)]
★女性雑誌の取材がありました。「次号予告」に掲載されましたら、ここでもおしらせします。

専門家のエゴイズム(3)

 石巻の講座が近づいていて、準備で忙しく、ブログの更新が遅れ気味です。

 ジャーナリズムのエゴイズムの問題。「天声人語」(13日)にも、 次の反省がありました。
     「気に入らない意見や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない。 「あなたの意見には賛成しないが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守る」。 古来の至言が、信頼もろとも紙面上に砕け散った思いがした」
 ジャーナリズムには、こんなに素晴らしい倫理があるのですか。 学問の世界にも、こうありたいですが、必ずしもそうではないかもしれませんね。 いろいろな集団が、ある学問の説に基づいて活動しますが、批判する意見を聴くでしょうか、機関誌などに載せるでしょうか。わかりません。 学問する人も専門家ですが、必ず自分の説を重視して、批判する意見を紹介したり、守ることはしないようです。組織の長老は権力を持ちます。批判的なことをいう部下の意見をなかなか採用しないでしょう。時代が変わり、状況が変わっているのに、旧来を墨守します。勇気ある内部批判者を排斥する傾向があります。
 人はみな自分の価値を重視します。総論では他の価値も認めるが、金銭的なことでは自分の価値領域に予算をまわすようにいいます。苦しむ人は、権力がなく、声もとどかず、苦しむ人がなかなか恵まれません。

マインドフルネスにもさまざまなものがある

 悲しいことですが、人間はエゴイズムが本質的であると西田幾多郎が言っています。 我見、我執、 エゴイズムも浅いもの、深いもの、個人だけを傷つけるもの、多くの苦しむ人の救済を妨害するものなどさまざまなものがあります。
 それで、マインドフルネスは、さまざまなレベルがあります。エゴイズムの全くないところ、すべての人間の根底がそうだといっています。それにもかかわらず、各人がエゴイズムの見方、エゴイズムの欲望、エゴイズムの行動をするのだといいます。自分に執着しますが、 その自分の見方により自分や他者を傷つける意識現象、エゴイズムを観察します。金子みすゞもそうであるように、深い自己であれば、観察できるものが深くなっていくと、西田哲学が言っています。
 感覚レベルの観察のマインドフルネスは、深い苦悩である家族の不和、自己存在の死を意識するがん患者やうつ病の患者には効果が弱いでしょう。ジョン・カバット・ジン氏がいうように、マインドフルネスはまだ「入門」段階です。個人の生涯においても、今のマインドフルネスは入門です。一生かけて探求するマインドフルネスがあるのです。学問研究においても、始まったばかりです。仏教や襌の学問はもう 頂点に達してしまったかのようです(ある研究者はまだであるといいますが)。しかし、マインドフルネスの学問は、始まったばかりです。 マインドフルネスの学問も批判しあって、向上していくことでしょう。
【目次】ジャーナリズムの権力(政治、学問、専門家)批判、自己批判 <別の連続記事>専門家のエゴイズム

専門家のエゴイズム

さまざまな立場からの思惑

哲学が違う

(続く)
Posted by MF総研/大田 at 11:59 | エゴイズム | この記事のURL