CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«マインドフルネスを推進するのは誰か(10) | Main | マインドフルネスは誰が推進するか(11)»
マインドフルネスは誰が推進するか(10) [2014年07月27日(Sun)]

マインドフルネスは誰が推進するか(10)

 =現場での臨床をする人がいないといけない

 さまざまなマインドフルネスがあります。 東洋の実践を応用したものは、初期仏教の実践、襌の実践を応用したものがあります。 東洋の仏教実践を応用したのではないマインドフルネスとして、アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT) があります。それは、行動分析学の発展したものだといいます。

 マインドフルネスは、気づき、観察、集中、価値実現行動への志向などの要素をそなえたものといえそうです。そうすると、おそらく、浄土真宗的な、曹洞宗的な、天台宗的なマインドフルネス、キリスト教的なマインドフルネスも開発されていくでしょう。

 マインドフルネスとは、上記のような要素を持っていて、しかも、現実の社会問題の解決を援助するツールであると定義できるでしょう。 この、「現実の社会問題の解決を援助」(現場の臨床)ということを抜きにしたらいけないと思います。 そうでないと、純粋宗教の再現、ただマインドフルネスの看板をかけた宗教になってしまいます。初期仏教はその修行理論は抽象的、微細な理論になっています。抽象的な理論的なものだけではなくて、現在の現実問題に適用されたもの(臨床でエビデンスあるもの)でなければならないでしょう。そうでないと現在の現場の人が用いてくれず、消えていくでしょう。
 マインドフルネスは、文献研究者、特定環境での実験研究者、僧院内での瞑想者だけでは不十分です。何が起るかわからない対人関係の場、実際現場でのマインドフルネスの臨床者がいないとそれで苦悩する人の役に立ちません。静かな環境での瞑想と違って対人場面の臨床はとても難しいのです。自分の理論が現実から遊離していないか、援助できるスキルの程度がためされるのです。苦脳していない聴講者、瞑想好きな病気でない人、学生相手とは違います。

 応用の方向としては、水平方向があり、垂直方向があります。  水平方向も大変貴重です。深いものは不要で広い領域への活用、臨床です。 幼児教育、小学生のためのマインドフルネス、いじめを予防するためのマインドフルネス、 不登校の子を援助するマインドフルネス、働き盛りの人のうつ病予防のマインドフルネス、どなたか研究して臨床実践してくださるかわかりませんが、発達障害の人の援助のためのマインドフルネス、スマホ依存の援助のためのマインドフルネスなどです。 これらは、水平展開です。可能性が無限にありそうです。

 垂直展開は、人格レベルで苦悩する問題、死の問題の苦悩を援助する臨床的マインドフルネスになるでしょう。それは、感覚や行動レベルのマインドフルネスではないからです。意識現象では深い位置にあります。深いのがいいというのではありません。意識現象のレベルの浅い、深いです。 自己存在が最も深い位置にあります。余命1年という苦悩を持つ人のその臨床の場での苦悩援助には、広場恐怖症に効果のあるレベルのマインドフルネスでは耐えられないでしょう。だから、垂直展開も重要なのです。

 こうして、今必要なのは原初も「宗教的マインドフルネス」の再現ではなく、現実の社会問題への実際臨床の解決援助のエビデンスのあるツールであるべきで「社会的応用のマインドフルネス」であるべきだといえるでしょう。

 今日は、日本マインドフルライフ協会の定例会で、井上ウイマラ先生のお話をお聞きします。東南アジア系の仏教にあるマインドフルネスのお話を聞くことができそうです。前回は、曹洞宗の僧侶である藤田一照先生のお話しでした。さまざまなマインドフルネスがあります。 日本には、仏教、西田哲学がありますので、これからもさまざまな宗教者が独自のマインドフルネスを開発していく可能性があって、臨床の場で活用できるものが日本にはたくさんありそうです。その中からそれぞれの現場の人が自分の問題にもっともふさわしいものを選択していけばいいのだと思います。くれぐれも、 現実の社会問題への解決援助という臨床を忘れないようにしないと現場の人たちから見向きされなくなっていくでしょう。仏教はまだ檀家や 壮大な寺院がありますから、命脈を保っています。しかし、マインドフルネスには檀家もなく、 寺院建築もありません。ノウハウのみです。真価がためされます。
【目次】マインドフルネスを推進するのは誰か
Posted by MF総研/大田 at 05:18 | 新しい心理療法 | この記事のURL