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人生の価値を発見していきる(13) [2014年02月25日(Tue)]
★本で自習なさってお られるかたへ
★3月22日、宮城県石巻 で講演会
 大災害の後に、長年月、うつ病、PTSDが。マインドフルネス心理療法で改善したい方、 予防の援 助をしたい方。地域、職場、団体で「心の健康体操」のインストラクターになろうかという方。 今後、半年継続するか検討。
がん患者さんに心理療法を提供すると、免疫能の向上で生存率があがる。がん関係者のご参加も。

★3月16日、蓮田での実習

人生の価値を発見していきる(13)

 =衝動的行為も価値実現の行為も真っ最中は自己が意識されない

 フランクルが こう言っています。無意識には、衝動的なものと精神的なものがあるといいます。
      「衝動的無意識と並んで、精神的無意識も存在するということであります。この精神的なものは、それが精神的行為の非反省的遂行に「没頭している」限り無意識なのです。それゆえに、精神的なものが--こう主張されたように--たんに「知る」(scit)だけではなく、それと同時に「自分を知ることを知っている」(se scire scit)ということはけっして確かなことではありません。むしろ、明らかに思われることは、精神的行為が対象を志向するとき、その行為自身を--つまり主観そのものを対象化しつつ--志向することはできず、したがって反省することもできないということです。それゆえ、われわれは、(第一次的な)知と(第二次的な)この知の意識とを区別しなければなりません。一般に意識と呼ばれているものは、この再帰的な、自分自身を反省する意識のことであり、この自分の知の意識、この自分自身についての知、つまりこの自己意識のことなのであります。それゆえ、われわれは、このような意識=自己意識に対して、直接的な現意識を立てねばなりません。この現意識は、「第一次的志向」と呼ばれているものに対応し、また、この(第一次的)志向作用から「分岐してくる」 (第二次的)反省作用は、「第二次的志向」と呼ばれているものに相当します。」( 『制約されざる人間』 春秋社 、p190)
 自己についての深い哲学ですから、大変わかりにくい。フランクルの哲学は西田哲学と似ているので、西田哲学(もちろん私の個人的な解釈)の方から解釈してみます。

 無意識とは、フランクルの場合も、西田哲学の場合も、自我、自己(主体側、ノエシス)が意識されないことであって、何かの意識現象は進行しているのです。衝動的無意識は、たとえば、破壊的思考の真っ最中は、それを思考している自分(主体側、ノエシス)が意識されないのです。苦悩する人が、苦悩の思考(ノエマ)を続けていてしばらくの間、自分という意識(ノエシス)が働かない。うつ病のひとが衝動的無意識で思考をすると症状が悪化します。
 一方、専門家が、建設的な思考や行動(ノエマ)をしている真っ最中も自己の意識(ノエシス)がないのです。スケート、能の人、ビジネスマンが仕事とそのこと(ノエマ)になりきっている真っ最中は、自分を意識(ノエシス)していません。これが精神的無意識です。価値実現の反応パターンが自動化されているのです。
 このことを
「精神的行為が対象を志向するとき、その行為自身を--つまり主観そのものを対象化しつつ--志向することはできず、したがって反省することもできないということです。」
と言っています。思考や行動の真っ最中には、苦悩のもの(衝動的という)であろうと、価値実現のもの(フランクルは精神的という、西田や私は叡智的という)であろうとも、自分が意識されません。
 だから、うつ病などになって、苦悩の思考をしていると、自分を失っている(衝動的無意識)が、脳内では、ストレス反応が起こっていて、抑うつが悪化します。ところが、仕事、趣味をする価値をみつけて、それに没頭するとき対象的なもの、価値だけであり、自分が意識されない(精神的無意識)ので、しばらく経過して、「やった、やれた」という意識が現れると喜こび、達成感を感じます。価値実現の反応ですから、無意識であっても、当然、抑うつ症状などがもたらされるはずがありません。
 「自分自身を反省する意識」「自分自身についての知、つまりこの自己意識のこと」 主体側(ノエシス)の意識を、「第二次的志向」と呼んでいます。 真っ最中には起きない自己意識です。
 自己意識が出てくる前が、「現意識」「第一次的志向」です。 西田が「善の研究」で、「純粋経験」といったものでしょう。フランクルと西田哲学が同様のことを言っているならそうなります。
 すべての人がこうなっているのですが、隠れたようになっていて、よく理解されていないのです。頭で、知識で、思考で理解しても、現実に実行できないと衝動的無意識を繰り返します。 しかし、このことが本当にわかるならば、衝動的思考・行動でなく、価値実現の思考・行動(ノエマ)に徹していれば、自己自身(ノエシス)について、嫌悪もせず、死のことも意識されません。 叡智的自己は、思考・行動が価値実現ですから、叡智的自己になれば、自己自身の評価、自己自身の死についてなど、苦悩することが少なくなるわけです。フランクルが、創造価値、体験価値、存在価値を重視する理由でしょう。(しかし、価値実現の行動をしていながらも、良心が自己自身を責めることがあります。叡智的自己として仕事などで価値実現しているのになお自己自身の罪、自己自身の行動について後悔するなどで苦悩するひとはさらにその先まで探求せざるをえません。そのような良心は超越からだといいます。フランクルも西田も宗教的だといいます。医師が扱えるのではなく、聖職者が扱えると言っています。)
 衝動的反応パターンも価値実現の反応パターンも無意識的になるので、価値実現の反応パターンを習慣化するようにまで、自分を成長させるのがいいわけです。 マインドフルネスのうちでも、私が開発した自己洞察瞑想療法(SIMT)は、叡智的自己、フランクルの「精神」の、価値実現の反応パターンを修練して、それが習慣化されることを目標としているといえるでしょう。そうすると、陰性の感情的になることが少ないので、身体、心理の症状や問題行動が軽くなり治るのです。治らない症状、行動、障害は、受け入れて、価値実現のことに意識を向けていきぬいていく叡智、精神が成長します。

★生きがい、生きる意味、価値の種類、創造価値、体験価値、態度価値、さらに存在価値
Posted by MF総研/大田 at 21:04 | 今ここに生きる | この記事のURL