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人生の価値を発見していきる(1) [2014年01月30日(Thu)]

人生の価値を発見していきる (1)

 若い人も高齢者も人生の意味を発見できず、うつ、不安をかかえており、一部の人が耐え切れずに自殺していきます。せっかく仕事に価値を見出していた人も、うつ病にかかり治らないと退職して、重要な人生価値つまり創造価値の実現がおびやかされます。 そして、東日本大震災で多くの人が大切な価値を失った方がおられます。その苦悩は従来になく深刻だろうとお察しします。

新しい援助法の開発

 価値を失った人は「実存的空虚感」におおわれるという。V・E・フランクルのロゴセラピー は、人生に意味を見出す援助をするという。フランクルの哲学と東洋哲学は類似するので、ロゴセラピーとマインドフルネス心理療法の2つを融合させた援助法は広く深く適用できそうな気がする。
 フランクルによれば、抑うつ症状を現す人には、身体が原因であるもの、心理が原因であるもの、精神が原因であるものがあるという。それぞれ薬物療法、従来の心理療法、ロゴセラピーが推奨される援助法となるという。フランクルの頃になかった、新しいマインドフルネス心理療法も考慮してほしい。身体、心理、精神、さらに自己存在まであると思う。

原因が浅いうつ病、根が深いうつ病

 表面の症状が同じ抑うつ症状であっても、それをひきおこしている 場所、深さが違えば、完治させるのはそこをターゲットにしないといけない。
 最近、普及している「マインドフルネス」も同様のことが言える。人間の苦悩、人間の生活を扱うので「人間というもの」の広さ、深さの全体を知っておいて、「この人のこの問題」はどこから起きているかを知ったうえで、用いようという至極、正当なアプローチであると思う。
表面の症状を薬や心理療法で軽くしても、根が深いところに病源があれば、再発してくるだろう。その人の周辺の環境のせいであれば、再発するだろう。
 「葉っぱを見て根幹を見ず、木を見て森を見ず」ということを避けたいのだ。「葉を見て根幹を見て森を見てそこから葉を見る」という方針だ。 それを、自分自身ができるようにするのが、マインドフルネスの自己洞察であるといえる。 なぜなら、人生は自分が責任を持つ。重要な問題をカウンセラーの判断に依存してはならない。
 私が主に関係してきたうつ病、不安障害、過食症、家族の不和も、表面の症状が抑うつ症状がとれないというものだが、さまざまな深さがある。いわば「葉が枯れた」という表面を見ると、原因が枝のもの、幹のもの、根が浅いもの、根が深いものに原因があるものがあると感じている。ロゴセラピーが扱わない自己存在そのもの(宗教レベル)まであるはずである。「死んだらどこへいくか」の苦悩や自分の存在の無価値という深いところに達したものがある。「自己自身の死、無価値」について起きた抑うつ症状に、薬だけでいいのだろうか。カウンセリング、心理療法だけでいいのだろうか。
 そういうわけで私は、人間の全体展望を重視する。マインドフルネスでも、ロゴセラピーでも、「全体」に言及する人がいる。

マインドフルネスにおける「全体」

 全体性を理解しておくのがいいと、マインドフルネスのジョン・カバト・ツィンが言っていると思うのだが、フランクルも全体展望を言う。もちろん、西田哲学もそうである。 「全体性」は、ツィンのMBSRの根底にある哲学である。 ジョン・カバト・ツィンの「全体性」は次の記事で触れた。

ロゴセラピーの「全体」

 ロゴセラピーにも、「全体」という哲学が出てくる。 人格が全体である、そして全体を建立するという。西田哲学にも同様の説明がある。 すべて(全体)を包む絶対無を基礎にした人格的自己がすべての人の根底である。フランクル も、こういう。
     「人格は統一体にして全体であるだけではなく、統一体と全体を建立するものでもある。 すなわち、人格は身体・心・精神の統一体にして全体を建立するものである。そしてまさに この統一体にして全体であるものが「人間」という存在なのである。この統一体と全体は、 人格によって初めて、また人格をとおしてのみ、建立され、基礎づけられ、保証されるので ある。 総じてわれわれ人間は、この精神的人格というものを、心身的有機体との共存という形に おいてしか知ることができない。したがって、人間とは、身体と心と精神という三つの存在 層の交点、その交差の場なのである。この三つの存在層のそれぞれは、どこまでも明確に 区別されねばならない(ヤスパース、N・ハルトマンを参照)。・・・」 (『人間とは何か』ヴィクトール・フランクル、山田邦男監訳、春秋社、447頁)
 生きづらい現代に期待されているロゴセラピーやマインドフルネス心理療法は深い人間哲学を基礎にしている。その根底は、いみじくもフランクルが言った「一人類教」の基礎にあるもので、共通のように見える。西田哲学も、キリスト教と仏教の根底に共通のもの、絶対に対象とならない自己の根源があるという。フランクルも同様であるとロゴセラピーの研究者もいう。
 私は、マインドフルネス心理療法の一つである自己洞察瞑想療法(SIMT)を用いる。意志作用の活性化により、うつ病などが改善する。意志作用は、価値実現の作用である。 フランクルによれば、人間は人生に意味を発見して、創造価値、体験価値、態度価値のために生きるという。人間存在の根底に「全体を建立」するものがある。

★生きがい、生きる意味、価値の種類、創造価値、体験価値、態度価値、さらに存在価値
★人生価値の確認
★人生の価値を発見して生きる
  • 叡智的自己は無限の喜こび
  • 瞑想(基本的自己洞察瞑想)にはいると思考が出て止まらない
     =価値実現が気になる、価値がおびやかされれいる、価値を失った
  • Posted by MF総研/大田 at 21:46 | 今ここに生きる | この記事のURL