人生価値の確認(3) [2014年01月08日(Wed)]
人生価値の確認(3)=人生の生きがい、喜こびは、薬では得られない快楽は、そのこと自体を目標とすることはできない。快楽は、何か行動をした結果である。V・E・フラ ンクルは次のように言う。 「快楽は総じて、われわれの努力の目標ではなく、努力が実現されたことの結果なのである。」 (『人間とは何か』春秋社、p94) 「快楽は行為の目標として思い 浮かべられるものではなく、反対に、いわば行為の後からついてくるものである。」(p94) 意志によって何かをした結果、快や喜こびを感じるのである。 「つまり、人間の意志の対象はそれぞれ互いに異なっているのである。これに対して、快楽は、価値 ある行動の場合においても、価値に反する行動の場合においても、つねに同じ快楽であろう。」(p94 ) たとえば、薬や違法薬物で快感を得ても、他者をだまして金銭をだましとっても、崇高な援助行為によって快感を 得ても、短期的には快感や喜こびはほぼ同じかもしれないが、薬や違法薬物で得る快楽は長く続けるものではなく、依存を生みだすと苦悩が待ち受けている。ときには、犯罪である。犯罪による喜こびは地獄が待ち受けている。 創造、体験、態度による行動からは、他者の喜こびを共有する。世界を創造する喜こびである。継続できる喜こびである。自己を脱落した人格的自己には世界の喜こびである。 (参照: 他愛が自愛) (私は宗教者ではないが、宗教者にはその事が次のようになるのである。創造価値、体験価値、態度価値から得られる喜こびは、神や仏に祝福された喜こびである。自己を脱落した人格的自己の宗教者には神の喜こび、仏の喜こびである。) 健常な人にとって、快は外部に向かっての行為、創造的行為や体験行為の結果として得られる。 このことが人間の特徴であるために、このことを、うすうすと気づいているために、社会に出ていけない 人は苦悩するのである。病気である場合には、薬を用いるが、それは喜びを得るためではなく、治療である。治して社会に出ていきたいのである。 家族や社会のために行動によって自分ができることを持つ人は喜こびの人生なのである。自分の中には、喜こび はなく、外部にしか喜こびをもたらすものはない。 無為に過ごすところには、無条件の快、喜こびはないので、価値は外に発見して行動していくとこ ろに、結果として喜こびが得られる。為すことの大小にかかわらない、喜こびは平等に与えられる。全国のすべての人の平凡な家庭のおだやかな家族生活に、そのすべての職業において、趣味において、平等の喜こびが与えられるのである。そういう意味では、私自身が力を入れているうつ病を予防すること、かかってしまったうつ病や不安障害、家族の不和などを治すことは重要であると思う。家族や社会のために創造的な人生を生涯にわたって生きていくためにすべての人に身につけていただきたいことである。日本人は宗教離れを起しており、人生哲学も死生観ももたず、いざという時の覚悟を教えられていない。うつ病、自殺が多い。「マインドフルライフ」として、自分の哲学を持ち、うつ病にならない論理を確保し、死生観 を持つのに、マインドフルネスは役に立つだろう。 マインドフルネスでは、価値が重視される。マインドフルネスは、価値実現のためである。つらいことや不快な事象があってもよく観察し耐えて受け 入れて、価値を目ざして行動して喜びを得るのである。 価値は一つではない。複数あることを忘れてはいけない。一つが障害されてつらいからといって、うつ病になり、自殺してはいけない。もっとほかに大切な価値があることをいつも忘れてはいけない。
|
|
Posted by
MF総研/大田
at 20:53
| マインドフルネス心理療法
| この記事のURL