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現代人にわかりやすい援助法ができないか [2013年12月04日(Wed)]

現代人にわかりやすい援助法ができないか

 深刻な問題について、自分の心を観察していく仏教と似た手法をわかりやすく言葉で説明するのが、マインドフルネスと言えます。インド大乗仏教は、言葉で説明しようとしました。 その唯識について、唯識の研究者のかたから次のように言われています。
     「言語は、我々の迷いの存在に深く関与している。言語体系は我々の無意識において我々自身を構制しているといっても差し支えない。このとき、言語に対処することは必須の課題である。その対処に、言語を逆手にとる方法が最も適切有効か、かえって他の宗教的象徴(襌における棒噶も含めて)の方が有効か、それは各主体(機根)の性格・宿業にもよるといっておきたい。少なくとも唯識は、聞・思・修の常道に従って、世俗言語の解体を言語自身によって遂行する道を選択したのであった。」(『唯識の構造』竹村牧男、春秋社、158頁)

    (注)「構制」という言葉があります。
  • こちらに議論   こちらにも
  • 西田哲学では、叡智的自己は価値実現の思想、行動が習慣化されるといいます。ここで竹村氏が 「構制」といわれている局面は、悩む場合のことですから、悩む反応パターン、価値崩壊の反応パターン、世界や自己の見方、思想、行動が苦悩するように習慣化されていると解釈していいのでしょうか。
 自己の探求、己事究明が仏教、襌のようですが、苦悩からの救済の援助法が、時代によって変化しました。その時代の扱っていい苦悩、その援助される人の習得しやすいように工夫されたのです。価値崩壊の反応パターンを価値実現の反応パターンに変え、解脱まで援助していくには少し長い期間かかりましたし、援助法も変わりました。
 中国襌の棒で打つ方法や「かつ」と大声でいい、指導するような方法によらず、唯識では、実践方法を多くの言葉で説明している。うつ病の人やがん患者の人に、棒で打つような方法は、 とても使えない。ジョン・カバト・ツィン氏のマインドフルネス・ストレス軽減プログラムのように、できるだけ言葉で説明するのはマインドフルネスである。

 現在、本で紹介されている仏教の方法では、そのままでは、仏教という宗教であり、マインドフルネスとはいえそうもない。現代人にはわかりにくい。問題によって、詳しく具体的に言葉で説明しなければならない。実践を言葉にするのだから難しい。 仏教、襌は、現代人の苦悩に具体的に解決援助をするように構成されていないので、そのままでは、マインドフルネスにならない。西田哲学もそのままでは、マインドフルネスにならない。具体的問題について、このような理論だ、このように実践するのだと言葉で説明する。それを読んで実践方法を理解できるかどうか、難問もある。唯識では「聞・思・修」という。援助者の話しを聞き、自分で思考して、修(実践)する。援助者からの言葉があり、自分でも考え、そして実践する。唯識の実践方法は、唯識観である。これも、そのままでは、うつ病の人、がんの人、高校生にはわかりにくい。しかし、こういう唯識の方針は、マインドフルネスに類似する。
Posted by MF総研/大田 at 22:21 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL