• もっと見る
«夫婦、親子が互いの人格を認める | Main | くすりにたよらない精神医学»
専門家は自分の価値を実現する課程で、欲望を貪りやすい [2013年11月25日(Mon)]

価値実現に生きる叡智的自己(13)

 =衝動的自己、意志的自己から叡智的自己へ
 =叡智的自己は価値実現が習慣化している
 =専門家は自分の価値を実現する課程で、欲望を貪りやすい 
 (真の叡智的自己ではない)

欲の強い人が援助者になると支援する過程で、欲望を貪りやすい

 西田幾多郎によれば、意識的自己より深くまると叡智的自己である。叡智的自己は価値実現の自 己である。自分の夢・願い・価値を実現していく自己である。 すばらしいのであるが、自分の願い、価値を追求するところで、独断、自己保身、自己中心、自己の 利益を優先しやすいというのである。仏教でいう煩悩、自己洞察瞑想療法(SIMT)でいう本音に影響 された行動をする。  大乗仏教では、慈悲を強調した。苦悩を持つ他者の支援である。 現在でいえば、医師、心理士、各種NPOなどの支援者の活動にあたる。 この領域に、つまり、苦悩する人の支援活動には、自分の利益をむさぼる心理傾向のあるものは、 支援活動にたずさわるべきでないという。 今年は、著名な仏教学者、中村元氏の生誕100年記念の年である。その人の著書に、このことが紹 介されている。『大智度論』の主張を紹介している。
     「『慈心を思惟するは、瞋恚病の中においては名づけて善き対治の法となすも貪欲病の中におい ては名づけて善となさず。対治の法に非ざればなり。所以はいかに。慈心は衆生の中において好き 事を求め功徳を観ずるものなれば、もし貪欲の人にして好き事を求め功徳を観ずれば、則ち貪欲を ますが故なり。・・・』
     右の立言は慈しみが貪欲とつながるものがあるという事実を明らかにしている点で興味がある。慈 しみとは人間的な愛情にもとづいているが、人間的な愛情は同時に欲情に転化する危険をはらんで いるのである。」 (『慈悲』中村元、講談社学術文庫、138頁)
    (瞋恚=しんい。怒り)
 欲の強い人、欲望を抑制できない人は、カウンセラー、心理士のような支援者になってはいけない 。欲の強い人が、他者救済のことを学習すると、「そうか、この方法で自分の利益をあげることができるな、援助活動をしよう。」などと欲を増すおそれがある。救済スキルを自己の利益だけに用いるおそれがある。 また、 支援するといいながら、その過程で、自分の欲望を満たす行動をしやすい。うつ病のように苦悩す る人から、金銭、性、労働を奪い、名誉、権力を得ようとして、支援者の利益を貪るおそれがあるからである。 誇大宣伝もその一つである。治るエビデンスのない手法、治すスキルがないのに、治したいクライエントに、治るかのようによびかけるのも、これであろう。 マインドフルネス心理療法(SIMT)は、自分の欲望も洞察し、抑制する。カウンセラーの育成講座をす るが、気になるところである。また、さまざまな人が、「マインドフルネス」と言い出した。 ある特定の問題に効果があったというエビデンスのないマインドフルネスの手法もあるのだから、苦しむ人を傷つけはしないかと心配である。うつ病、深刻な不安障害(ながびくとうつを併発して)、パーソナリティ障害などには「自殺への衝動」という悲しい、深刻な症状がある。マインドフルネスの形式的な手法だけを学習した人が、いのちがかかっている問題に安易に用いるべきではない。
 マインドフルネスとは、あるがままの自分の心に気づくことも含まれるのだから、「醜い」むさぼりの心(他にも問題に影響する習慣化された心理が多い)も洞察しなければならない。このことを言わない、マインドフルネス、仏教もある。 だが、この心理によって、ひきおこされている問題も多い。この対策のない治療法(心理療法、マインドフルネスなど)ならば、改善しないだろう。
 カウンセラーが自分自身の利益のむさぼりによって、つらいクライエントをさらに苦しめてはならない。欲望の強い人は支援者になってはいけない。そのよう に、インド大乗仏教は教えている。
 援助の対象となる「人」は、人格的存在であり、絶対に対象とはならない、「神のごとき」とたとえられる人格底を持つ存在であり、援助者の自我の利益(人生価値実現)のために利用していいような対象となる「物」ではない。

 自分の利益のむさぼりなど、僧院の中では起りえない。あの教訓は、在家の現実社会でのことをいう。インド大乗仏教は、上記のように、社会の現場での活用を前提として、実に具体的で深く人間の心理を洞察していて、おそろしい。現代の仏教はインド大乗仏教とは随分変質している。大切なものを数多く失ってしまった。現代の人は、とても後退してしまった。

専門家も薬以外の支援法を研究し始めた

 「くすりにたよらない精神医学」という雑誌が発売になった。医学の領域にも、患者さんの人格を重視しないでくすりづけする人がいるかもしれない。そして、薬に効果がない場合や、適切でない人の場合、薬以外の支援方法を研究開発している人や、そうしたいと思う人も多くいることがわかった。その願いが、実際に実現するように願う。薬物療法でしか援助できない人も多い。薬物療法とそれ以外の援助法を適切に用いていく体制を作ってほしい。精神疾患は幅広く、児童精神医学から高齢者の精神医学までにかかわり、すべての家庭に影響する。大切な家族のためにも、 みんなが協力すべきだ。
叡智的自己
 職業、家事、育児も専門家であり叡智的自己だが自覚がない
 
  • (参考)専門家のエゴイズム
  • ヴィクトール・フランクル=さまざまなレベルの自己
    意志を越える、意志を包む、意識的意識を越える、
    自分をみなくなる、自己は見られずイデヤが見られる、表現⇒だから真の叡智的自己は少ない
    夢・価値実現、自他不二的、自愛・自尊、能動的習慣、内からの要求、喜び、叡智的自己の苦悩、
  • Posted by MF総研/大田 at 22:48 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL