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「人格」とは何か(6) [2013年07月27日(Sat)]

「人格」とは何か(6)
 さまざまなレベルのマインドフルネス

 =日本では人間の根源が鎌倉時代から探求され、日本文化の底にも流れていた

 自己の根源、言葉以前、自他が分節する以前の絶対、道元、ジョン・カバト・ツィンについて触れた。
    (参照)鎌倉時代の道元、ジョン・カバト・ツィン
     自己はもともと「迷惑せず、妄想 せず、顛倒せず、増減なく、誤謬なきこと」 なのだ。人間、自分が生まれそれで価値基準で評価する以前。西洋哲学は、この後、自他が分裂してからのことを扱う。日本は人間の真相は何と鎌倉時代に明確になっていた。それを哲学として場所の論理として記述した西田哲学。これに基づく方法が日本にあったが、方法は現代人には向かない。現代的なマインドフルネスの手法を開発できる。枠組み、理論、深い人間哲学はある。あとは、技法の開発である。
 西田哲学でいう人格的自己の基礎になる自己の根源は鎌倉時代に自覚された。そして、 世阿弥、千利休、芭蕉など日本文化を生み出してきた。マインドフルネスの最も深いものが日本にある。日本を大切にすべきである。しかし、人々への助言方法は、従来のものではいけない。 権力から弾圧されていたころ、人々の「苦悩の解決」ということをいえなかった封建社会において発達した手法ではなくて、現代人が誰でもとりくめる理論(哲学、いかに生きるかの指針など)と方法を開発しなければならない。
 最も深い自己の哲学の途中段階の意志的自己(欧米のものもこの段階)レベルの マインドフルネス、アクセプタンス(M&A)で、うつ病、不安障害、過食症、家族の緊張不和などが改善することがわかった。となると、さらに深い叡智的自己、人格的自己のM&Aを開発できれば、さらに深刻な現代人の問題の改善に貢献できる可能性が高い。
 M&Aはさまざまなものがある。 同一レベルのマインドフルネス手法をいくら多く、精緻に作っても、深いレベルの問題には全く効果がない。意志的自己、叡智的自己、人格的自己は、場所の深さが違う。浅い場所の手法は、深い場所にかかわる問題には、関与できない。
 全体の枠組みが明確になっていないと、単なる技法の集積では限界に達する。深い人間の哲学の全貌を展望したM&Aであるべきである。 そのM&Aで解決できない場合に、どの方向へ行けばいいのか、方向があるべきである。もともと、マインドフルネスは、東洋のものである。東洋哲学のものである。
 ジョン・カバト・ツィンに深いものを質問すると、おそらく「困ったものだ。日本にあるのに。私こそ、教えてもらいたい。道元、鈴木大拙を生んだ日本なのだ。私のほうこそ教えてもらいたいことが多い。」と思うかもしれない。彼が西田幾多郎を知っているかどうかわからない。
 世界に輸出できる日本の宝を発掘していただきたい。苦しみ多く、いきがいを見つけることができないという人も、このことにとりくんでいただきたい。さまざまな領域に、無尽蔵に社会貢献できることがあると思う。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2734
「人格」とは何か【目次】
Posted by MF総研/大田 at 06:13 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL