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「人格」とは何か(5) [2013年07月26日(Fri)]

「人格」とは何か(5)
 さまざまな段階の自己

 =それぞれの段階に応じたマインドフルネス実践がある

 これまでに述べたような構造は、あまりに早く、おそらく神経生理学的な反応と同様のスピードで起きているので、通常は意識されない。実際に起きているのである。 意識される以前のことであり、従来の心理学では扱っていない。西洋のマインドフルネスでもまだ扱っていない。しかし、ここまで深くないと援助できない問題も多いはずである。いかに生きるか、がんによる死の不安の問題、自殺の問題、虐待暴力などにまつわる人格否定の問題、カルト宗教の被害などもそうであろう。 こうした人間の根源を基礎にした人格的自己を論理的、哲学的に了解するに留まらず、「実感」するためには、やはり一段と深いマインドフルネスの実践が必要とされる。 自分は底に絶対を持ち、底から個性ある人格が生まれる。他の人も同様であり、自分の底に相手(すべての存在の一つ、最も重要な存在)が住み、相手の底に自分が住んでいる。互いに相手を絶対的な存在と認めあえば、対立、抗争、暴力、虐待がなくなるであろうか。
 すでに、いつも自分は死んでいると根源的な場所で起きている事実を心底納得すれば、生物的な死後のことで苦悩することはなくなるだろうか。 そして、いつも絶対の底から生まれていることを納得すれば、今ここの人生を大切に生きることができるだろうか。
 今、公表されているマインドフルネスは、欧米のものも日本のものも、すべてが、意志的自己のレベル、叡智的自己の入口レベルである。マインドフルネスは、心理療法としても、人の生き方としても、なすべきことは多い。「人間は死なない」とか「なぜ生きる」というテーマの本がかなりの部数売れているという。それは、現代の日本人が、自分、死後のことに強い関心があるからだろう。信じられるひとは、それでいい。
 まだ、納得できるマインドフルネスは開発されてはいない。中国の唐宋時代、日本の鎌倉時代、江戸時代に開発された宗教的手法ではなくて、信じることや宗教心のない、しかし、論理的ならば納得する現代人に実践、実感できるマインドフルネスの方法がないものだろうか。他の領域でこれほどの知性を成長させている現代人ならば、できそうなものだ。日本の専門家が、関心を持たなかったから遅れているだけだ。人はみな、自分のしたい夢、人生をかけることをみつける。残念ながら、西田幾多郎のあとに、これをさまざまな領域に生かすことを人生の夢とする人がきわめて少なかっただけだ。荒っぽい素案がある。これからしばらく検討してみようと思う。試行してくださるクライエントの方といっしょに。
 今になって、欧米で「マインドフルネス」という 新しいフィルター、人間を見るフィルターが発見されたことにより、日本には、あちこちの倉庫にあって活用されず埋もれていたことがわかってきたようなものだ。 日本のマインドフルネスは大変深いものまである。絶対無を基礎にした人格的自己の哲学は欧米のものではなく、西田哲学である。欧米人がこれにとりくむためには、西田哲学を英語・ドイツ語に翻訳されたものを読むということが必要になるので、日本人でないと開発しにくいだろう。 この領域に、いきがいを見いだして、心理士、医師、看護師、さまざまな領域で苦しむ人の援助をしている人々が開発してほしい。人は、生きがい、価値というフィルターをあてないと、自分の人生から 捨ててしまう。同様の場所に生きていながら、違う進路、違う職業を選ぶのは、フィルターが違うからだ。深いマインドフルネスのフィルターの発見と活用に生きがいを持つ人がふえれば、日本は、きっとすみやすい国になるだろうと思う。  次に、鎌倉時代の道元、ジョン・カバト・ツィンの自己の根源の哲学に触れる。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2734
「人格」とは何か【目次】
Posted by MF総研/大田 at 05:49 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL